33年卒 安曇野に集う

参加者  後閑(33C)、閑(33C)、房内(33C)、増渕(33D)、渡辺(33C)、深澤(33W)

期 日  5月9日()から12日()

場 所  上高地から横尾(横尾山荘で1泊)

合宿の概要

1.初 日

  (1) 集合  12時〜14時 池田山荘

  (2) 昼食  ベランダで星野物産の上州麺を賞味

  (3) 食材調達、すでに長峰温泉で入浴

  (4) 前夜祭 過去の山行、近況報告、各自の健康状態と健康の維持方法、その他話題は尽きず。アルコールも入り、ときに珍説のご披露等もあって大いに盛りあがる。

2.二日目

  (1) 池田山荘沢渡

    「曇天から降雨」の前日の予報より早期に起床して出発準備

     車2台に分乗して農面道路経由で沢渡へ

  (2) 沢渡上高地:バス

  (3) 上高地(9:40横尾(14:30

    昨冬の未曾有の豪雪、4月の低温で登山路も残雪が多く、また雪崩や崖崩れによる悪路で、所要時間は約5時間

    1) 上高地明神池:年齢相応のピッチで左岸登山路を歩く。

    2) 明神池徳澤:「左岸工事中のため通行中止、迂回路なし」の標識で明神橋を渡り右岸に移る。危険カ所、悪路が何カ所かあったが支障なし。第2新村橋(or徳澤橋)?で再度左岸に移り徳澤へ

    3) 徳澤横尾:歩き始めて初めの三分の一は泥濘み、落石危険、残雪による悪路も問題になるほどのことはなかった。

残り三分の二は残雪が多く足回りは冬支度が望ましかった。他に落石危険、崖崩れ、崖崩れによりルートを河原に変更、雪渓の斜面トラバース時にバランスを崩すと梓川に転落の恐れ等の危険カ所があり、慎重に時間をかけて横尾を目指す。

横尾山荘到着と同時に宿泊手続。健脚組は更に横尾谷を遡行、本谷渡し辺りで雨が降り出し、急ぎ山荘に引き返す。(小生は1ヶ月前に持病《左股関節と膝の傷害》を悪化させ宿で静養)

横尾山荘:2階和室2部屋(3+4=7人)。風呂は新装で快適。1泊2食:\9,000夜半より風雨激しくときおり目覚める。

3.三日目

  (1) 横尾山荘(7:40上高地(12:15)上高地バス出発(12:35

    雨止まず。回復を待って出発するか更に1泊という選択もあるが、天候もこれ以上悪くなる心配がないため、朝食を済ませて準備のでき次第出発

1) 横尾徳澤:昨夕からの温かな多量の雨で融雪も進み、来たときよりルートの状態は良好、逆に水量は増して梓川は濁流で荒れ狂っていた。それでも樹木が豊な谷から流入する水は澄み、主流との差に驚く。

2) 徳澤明神池:左岸の通行止めは解除され、昨日とは違うコースを辿る。

明神までの途上、徳澤からおよそ三分の一、登山路が梓川に一番接近する辺りで大きな崖崩れが生じ、それが昨日までの通行止めの原因か?と納得。応急処置なのか堅固な擁壁らしきものは見えず。すさまじい濁流に浸食され、いずれ決壊するのではと要らざる心配をする。

     明神池手前、徳本峠への分岐点

      1955年に工学部山岳部に入部。夏の涸沢合宿で「体重と同量の荷を・・・・」

     と重い荷を背負い、先輩に叱咤激励されて喘ぎながら峠を登り下った地に同期が51年ぶりに集う。感慨も一入でした。

    3) 明神池上高地

先着の健脚組は、体調不良の小生を待つ時間を有効利用して片道0.6kmある明神池まで往復。雨は小降りになり、上高地バスステーションに出発予定時刻20分前の12:15に無事到着

    4) 上高地沢渡:バスが下るにつれ天候もよくなり、沢渡バス停では日差しが眩しかった。

   

U 沢渡池田山荘

      駐車場斜め右向かいの日帰り浴場兼食堂で かけ流しの温泉に浸り、その後で昼食池田山荘への途上、ベイシアで食材を調達

V お別れ会

      丑澤先輩より大吟醸をいただく。美味い酒と計画達成の安堵感からつい酒量も嵩む。皆70歳を過ぎ、@多少耳が遠くなる。A応答特性も大なり小なり低下 等もあってか宴酣になるにつれ、話がほんの僅かに噛み合わないだけでも思わず大声が出てしまう。若いときには見られない微笑ましい光景でした。

      京阪在住のお二人が、卒業以来仙の倉山荘を一度も訪れていない由なので1010日前後に23日の合宿計画を検討することに決定

  

.四日目 朝食後解散帰宅

    1) 皮肉なことに目を覚ますと快晴。朝食を摂らずに急ぎ天平の森公園まで写真撮影に行く。モニュメント広場から眺望できる北ア、その他の雄大なパノラマを楽しむ。

    2) 公園から帰り朝食、しばし歓談して解散(10:10

    3) 帰宅 増渕、渡辺:明科駅より京阪へ

4名:三才山トンネルを経て群馬へ(後閑:高崎より茨城)途中、鹿教湯温泉で丑澤先輩に紹介された公営の文殊の湯に入湯

  

.その他

    1) 大地は春の息吹きが遅く高山植物は望めず、樹木の芽吹きは未だしで期待していた新緑と競い咲く花々に接することはできなかった。

    2) 上高地から横尾までの途上で、人の背を超えるぐらいの高さまで鹿や羚羊に樹皮を食い荒らされて幹が剥き出しになっている樹木を散見し、昨冬の厳しさを改めて痛感した。

    3) 動物では、小鳥を沢山見かける。残念ながら鶯以外は囀りや容姿で判断できない無知を恥じ入るのみ。鳥類の他には栗鼠と猿。第2新村橋(or徳澤橋)?の所では、左岸の支柱とアンカーを結ぶ1本のロープを猿が4本の足を使ってバランスよく降りるのに感嘆する。あまりの妙技に見とれ、栗鼠と同じように自由自在に動く長い尻尾が例の猿にもついていたかを見落とす。

 長い尻尾があるとすれば、同じ霊長類といっても「ひよどり越え」の発想で生まれる孫か曾孫を四つん這いに育てて試す愚は避けた方が賢明です。

   4) 今回は、病院と診療所の2医療機関の整形外科医の忠告を無視しての山行、小生に気遣いながら4日間付き合ってくださいました6人の方に感謝申しあげます。

     悪天候で肝心の穂高連峰は見えず。山のない所をひたすら歩き続けたと言い聞かせて諦めます。