ニュージーランド トランピング紀行(2):ルートバン、ワイへキ島   40S 山田和夫

 

 15日は16時クィンズタウン着、Ultimateのオフィスでルートバンの説明会を確認しようとしたら、日本人は私一人だけだから今からやっても良いとおばさんがいう。明日一日フリーになるほうが良いだろうとのこと。有り難くお願いした。ミルフォードでは参加者リストがなく名前が覚えられなかったので、リストのコピーをもらうことにした。参加者15名の氏名、性別、ガイドのリストを頂いた。

 Robertがいてミルフォードのリファンドは済ませたとinvoiceのコピーをくれた、多謝。

 日本語ビデオ、資料、シーツをもらえばブリーフィングは特に必要ない、集合時間を確認して終り。

 宿にチェックイン、バスタブでのんびりしてから「南十字星」で久し振りの日本食。ビール、ワイン焼き鳥、刺身、寿司など$62.5。

 

12月16日()

 足の痒みで目が覚めた、たまらなく痒い。ツアーのおばさんから特製の痒み止めを頂いた、これをつけても治まらない。赤く発疹になっている。サンドフライだけではなさそうだ、原因不明。痒いが仕方ない。
 今日は一日フリー、 Arrowownに行くことにし9:45発のバスに乗った。
往復18$、おばさんの運転手がガイドしながら25分ほどで着いた。ここは昔の金鉱の町、中国人労働者の苦役を再現したエリアの他は狭い町の通りに沿って店や、食べ物屋が並んでいる。

 郊外にはトランピングコースが沢山ある。良い天気の中をのんびり散策、早めにビールとパスタの昼食を「用心棒日月抄」を読みながらテラスでいただく。12:45のバスでクィンズタウンに戻った。

 実に良い天気、ワカテプ湖のほとりでビールを飲みながらしばし読書。
 思いついてKiwiを見に行くことにした。ゴンドラ駅の近くにKiwi & Birdlife Parkがある。入口でマオリのおばさんがわいわい説明してくれた、入場料を2$discount何故? Kiwiは夜行性で小屋は暗闇、目が慣れるまでしばらくかかりそれから探す。いた、ガチョウより少し大きく足が長い、嘴が細長い。ポンポローナロッジのスタッフがトラックで見たといっていた、自然の中にもまだいるようだ。他にも様々な鳥がいた、またここは傷ついた鳥の治療もしているということだった。

Kathmanduというスポーツ・衣料品店でメリノのTシャツと靴下を買った。Tシャツは120$が70$、他の店も覗いたが断然安い。ルートバンは寒そう、役に立つと思ったからで実際そうなった。

晩飯はステーキの人気店、Beef Eaterでフィレのミディアムレア、サラダバー、ビール・ワインで54$、ボリュームあるが味は今一。前回も同じ思いをしたのを思い出した。

スーパーで朝食用に韓国産インスタントキムチラーメンとサンドウィッチ、ミネラルを買い込んだ。

5:40にwakeup callを頼み明日の準備をして11時にベッドに入った。

 

12月17日(金)

 バックパッカーズの宿はキッチン、食堂があり調理用具は一通り揃っている。なべでお湯を沸かしラーメンを作って部屋で食べる。6:45にstationに行くと既に皆さん来ていた。7時に出発。テアナウでモーニングティ、Ultimate HikeVickers一家5人が合流して15人勢揃い。ここで自己紹介

 

      ArrowtownChinese Village                       Lake Wakatipu:湖畔に広場がありビールが飲める

 

 全員ご夫婦と家族、私は妻が膝痛で参加出来なく残念と最後にコメントした。再びバスに、Ianが隣の席に座って良いかと来た。彼は74歳、クライストチャーチに住んでいる、弟の奥さんが日本人でBlenheimという南島の北の町でHiromi & Malcolm Stewart B&Bという宿をやっている、Ianはそこにヨットを持っており釣りやモリで魚を獲るのが楽しみ、今回は奥さんと孫3人で参加した。息子の嫁はマオリ人、国際的だなど紹介。妻の膝痛に関して、彼は両膝が人口関節、右が米国製・左がドイツ製とのこと。手術前は好きなスキー、トランピングは諦めかと思ったが医者が絶対成功させると言い、そうなったとのこと。このご夫妻とは仲良くなった、奥さんは素晴らしいトランパーで自然の理解がすごいと後で分った。

 

 11時出発地点のDivide着、小雨。原生雨林の山道を歩き12時Key Summit分岐、Summitには池があり眺望は良いが周辺の山はガスで覆われていた、残念。

 

        Key Summit分岐:標高919m                              頂上の池

 分岐点に戻り、少し下るとDOCのハウデンハット13時、昼食。Day Walkツアーの日本人が何組かいて賑やか。13:35出発、銀ブナ、苔、羊歯の道を進む、この辺は一番雨の多いところだそうでまさに原生雨林。1時間ほどで落差80mのイアーランド滝に出た。道は滝壺に近く飛沫が飛んでくる。通り抜けてからしみじみ眺めた、結構落差が大きく見える。しばらく山腹を歩きオーチャード16時、Oldman’s Beardという白髭のような苔が木からぶら下がっているのが見られた。苔もいろんな種類があった。Ianの奥さんMeredithから花、羊歯、苔など教えてもらう、よく知っている。

 小屋の近くでは苔に覆われた木が沢山ある不思議な森があった。小屋着16:45。荷物を置いてLake Mackenzieまで往復、雨から雪になりかなり降ってきた、寒い。

 

Oldman’s Beard                  Filmy Fern:葉が薄くフィルム状という意味

 

         苔に覆われた木の森               Lake Mackenzie:この右手にDOCの小屋がある

 部屋は4人用のdormに一人、シャワーを浴びてラウンジに行く、石炭ストーブが焚かれ暖かい。外は雪、まるで冬だ。ビールを飲みながらのんびり、Cohn, Slow御夫妻としばし話す。アメリカから参加、奥さんが姉妹。小柄で良く似ている。

 Ianの隣で夕食、ワインを一本シェアして飲む。他の皆さんは奥さんがグラスワインを飲む程度で殆ど飲まない。Ianの隣でよかった。スープ、前菜。メインは何だか忘れた。 食事の後デザートのクレープをガイドが投げて皿で受けるという遊び、4,5mあるのでなかなか難しい。子供達はさすがに運動神経がよく上手に受けた。私は両手でかろうじて落とさなかった。明日の説明を受け部屋へ、寒い。ゴムの湯たんぽに湯を入れてもらい寝た。これは有り難かった。

 

12月18日(土)

 2時に目が覚め外を見るとすごい星空、つぎに起きた6時は雪。どうなっているのか。

 昼食のサンドイッチ作りの後朝食、ガイドのBethが何か言って皆さん一本か二本指を上げている何か分らず聞いたらポーチド・エッグを何個ほしいかということだった。ヒアリングは難しい。

 

セーターまで着込んだ上に雨具、毛糸の帽子の完全防備で9:30出発。10時フェース、ここから山腹を歩く、マッケンジー湖は雪にかすんでいた。10:50 Ocean Peak Corner, Sandiが待っていてチョコレートを差し出す。ここからホリフォード渓谷を見ながら長いフェースをトラバース、途中径3−5cm、長さ50cm位のツララが一杯ぶら下がっていた。完全に冬の山道だ。晴れ間が出てホリフォード渓谷に大きな虹が出た。素晴らしい虹だ、写真を撮ろうとデジカメを出したが作動しない。電池切れかと思ったが低温が原因だったようだ。Mt Cook Lillyがぽつぽつ咲いていた、ミルフォードのほうが沢山ある。12:30 Harris Saddle小屋は内鍵になっており外からは開けられない。

 ガイドウオーク専用の小屋ということと風と寒さで開け放ち出来ないようにしているようだ。熱いスープをいただき昼食。一時頃から晴れてきて素晴らしい景観が現れた。カメラ不能は実に残念。

 コニカルヒルに登りたかったが、雪と氷で登山禁止。途中までは行けそうだったがSandiから厳しく駄目と言われ諦めた。替わりに少し下ってからPaddy’s Pointへのアクティビティがあると言われた。13:30小屋を出発、Lake Harrisに出た。この景色が実に素晴らしく神秘的なほど、感動した。

 カメラ作動不能なのでしっかり目に焼き付けようと何回も振り返った。この辺はトラック上にも雪が多くDOCのスタッフがスコップでステップを切っていた。
 帰国後Vickers家の長男Davidから写真をメールして頂いた。記憶とのギャップはあるが素晴らしい写真有難う。

     Lake Harristrack:左上の雪渓がtrack、人が見える (Davidのメールから)

                  Lake Harris (Davidのメールから)

 14:30 Paddy’s Point分岐点、天気が良かったのはSaddle付近だけ。また雪、眺望は期待出来ないが荷物を置いて行ってくる事にした。Ianが一緒、74歳で両膝人工関節とは思えない、陽気にハミングしながらゆっくり登る、タフだ。最後の頂上は勝手に登った、眺望は殆ど無い。ブロードな岩山とガスのため降り口を間違えた。Ianが正確に降りていて声を掛け合い戻れた、Thank You

 戻りはIanの体験談、忠告か。トランピング中道に迷い一晩さ迷った、弟も遭難騒ぎを起したことから往路をしっかり記憶し、帰りは必ず同じ道を戻る。ガスの中では基本だ。往復50分。

 Routeburn Falls Lodge着15:40。Ianは靴下濡れている、乾いた私の靴を羨ましがっていた。乾燥室は満杯、15人でこれではフルの28人の時はどうなるのだろう。今日も4人部屋に一人。寒い、熱いシャワーを浴びラウンジでくつろぐ。つまみは豊富、動植物の本がいろいろある。Meredithから花・羊歯・苔について教えてもらった。説明への理解は今一だが実に良く知っている、敬服。

 Vickers家の父親Danは歯科矯正医(orthodontist)、奥さん、2男1女が同伴。長男Davidは大学一年で文系、次男Matthewは高校2年、Stephanieが13歳の中学生。Danは寡黙、スキーが好きで札幌に行く予定、雪質は世界一といっていた。子ども達は良く教育されていてやんちゃだが朝食後のテーブルを綺麗にする、他のメンバーへも礼儀正しい。そんなことをDanに行ったら嬉しそうな顔で何時まで続くかといっていた。Matthewは妻の姪の次男と同じ名前、そんな話題(マタイ)と理系を選択したら、など余計なことを言った。奥さんも静か、良い家族だ。

 夕食はIanとワインをシェア。食後Ianは孫達とトランプ、ガイドの3人娘もVickersの子ども達とトランプ、アメリカ人のEllynは何時も読書。皆さんのんびり、私もストーブの前で文庫本を広げた。

 

12月19日(日)

湯たんぽのおかげで良く寝た。快晴。朝食後、滝の上まで登りRouteburn FlatSaddle方向を写真に撮った。小屋で温まったせいで電池は復活した。戻ったら皆さんいない、9:30Bethと出発。話しながらのんびり歩く。専攻はPhysicsというので物理学と勘違い、話しているうち体育学のようなものと分った。ガイドのサラリーは日給NZ$150で日本語が出来るなどあれば+α、ただ半年しか働けない。オフシーズンは様々アルバイト、スキーはインストラクター資格があると言う。NZのオフシーズンは日本の冬、日本のスキー教室で指導をしたらといったら、良いことを聞いたと言っていた。本気なのかな? 日本へは行ったことがないが是非行ってみたい、寿司が家族中大好きで週一回は食べる、クィンズタウンにはテイクアウトの寿司屋があるなど。もう一人のガイド、フレス(Felicity)は一年福島で英会話の教師をしていたといっていた。

ブナ林の斜面では土層が薄いため雨が続くと一本のブナのスリップで木の雪崩が起こる、巾10m程のスリップ跡を渡った。この辺から見る対岸の山は青空に映え綺麗だった。DOCFlats Hutでモーニングティをいただく。Bethが河原の中の草むらの道を推薦、バターカップやエバーラスティング・デイジーが緑の草むらの中に咲いている。しばらくしてからまたブナ林の道に戻る。

 Day Walkの人とすれ違う、日本人も何組かいた。川原が開けたForge Flatで昼食。子ども達は岩に登ったり、流木を渡ったり、石投げをしたりで身軽に遊んでいる。天気も良く、ここはサンドフライもいない。気持ちよく寝転んでしばらくのんびりした。

 ルートバン渓谷を右に見ながらブナ林の中を一時間少しで最終点Routeburn Road Endに着いた。13:40、両トラックのウオークは全て終了。良い仲間、天気もまあまあ、楽しいウオークだった。

 

 2時過ぎにバスが出発、すごい砂塵を巻き上げて走るトラックの後をしばらく走ってからグレノーキーに着きホテルで休憩。テラスでポテトフライをつまみに飲んだビールは旨かった。全員で完歩証用写真撮影、4時にクィーンズタウンに戻った。

 

 

Routeburn Fallの上から見たHarris Saddle方面          Routeburn Flat:手前はロッジ

 

  Routeburn Falls Lodgeから30分ほど下った所        DOC小屋の前の川原、左下子供達

 

    Forge Flatで、子供達:ピンボケ残念              最終点(スタート点でもある)の標識

 

6時にGardens Park Royal Hotel集合、セレブレーション・ディナーと完歩証の授与があった。

Cohn, Slow両ご夫妻は予定があり欠席。最後のワインは「You are my guest」ということでIanにご馳走してもらった。Ianの孫の母親も参加し、楽しいディナーだった。

 

Ian Stewart一家                     Vickers一家

 素晴らしいメンバーとガイド、自然、楽しいウオークだった。ただ予想外の雪と寒さにはびっくりした。連日晴天よりもこうした変化を経験できたのはむしろ良かったのかもしれない。

12月20日(月)

 次女の薦めもあり今日はオークランド近くのワイヘキ(Waiheke)島まで。12:20クィーンズタウン発14:05定刻にオークランド着、エアバスでフェリー乗場に行く。16時発のフェリーで35分ほど。

 ロッジへの行き方を聞き、バスに乗って10分、荷物を引っ張り10分ほどでロッジに着いた。ダブルベッドの部屋が空いていると言うことで相部屋から替えてもらった、75$。NZ最後の夕飯は何か旨いものをと聞くとVino Vinoというレストランを紹介された。Oneroa Bayに有り歩いて30分弱とのこと、探索を兼ねて出かけた。大型のいろんな花が咲いている、簡単な地図でぶらぶら歩いたが一向にそれらしき所に着かない。50分程歩いて変だなと思い聞いてみる全く別な場所にいた。地理感は並以上と思っていたが、年のせいか。一時間半で到着、立派なレストランで期待したが、今夜は満席と言われがっかり。別なレストランを紹介され行って見ると定休日。インド料理があると言われやっと座れた、賑わっている。最後がインド料理か、でも結構旨かった。

 歩いて戻り、オーナーのお兄さんに島のアクティビティをヒアリング、相当酔っ払っていて息が臭かったが細かく教えてくれた。ビーチウオークとワイナリーに行くことにして早々に寝た。

 

12月21日(火)

 8時ロッジを出た、天気は良くない、雨に気をつけろと言われた。Owhanake/Matiatia Loopの海岸沿い約4時間のコースを歩くことにした。途中ワイナリーが幾つかあるので寄ることにした。

 一時間少しでPeninsula Estate Wines11時オープンの標識があった、ゲートは開いていたので入ってみた。しばらくぶどう畑が続き名前のように半島状の先に醸造所と展望台があった。人の気配はない、展望台で入り組んだ海岸と一面のぶどう畑が眺められた。雨が降ってきた、ゲートの手前の木の下でしばし雨宿り。車道からコースに入りぶどう畑と海岸沿いをしばらく歩いた。誰もいないし景色も今一、Owhanake Bayを過ぎたところで雨が強くなってきた。道も間違えたようだ。雨はスコールのように強く傘は役に立たない。木陰に避難したがずぶぬれ、雨に注意しろと言われたこと納得した。ここが何処も分らない、人もいない、車道なので歩いていれば何処かにつくだろうと小降りになったのを機に歩き出す。しばらく歩いたらなんとPeninsula Estate Winesのゲートに着いた。11時、急いで醸造所に行くと7,8人のツアー客がいて見学会が始まっていた。入っていいかと聞くとOKNapaのワイナリーなどに比べるとずっと規模が小さく家内工業的、ツアー客の後ろで良く分らない説明を聞いてから試飲。ONEROA BAYというブランドでカベルネ/シラー/メルローのブレンドとロゼを試飲した。まあまあの味。他に何種類かあるのでツアー客が引き上げた後別なワインの試飲をお願いした。しばらくして「これがここのflagship wine、98年は良いぶどうが収穫出来た年」とHAURAKI 98年を抜栓してくれた。渋く深みのある味だった。他にZENOというシラー種も試飲させてもらった。 一カートン日本に送れるか聞いたらやった事がないということでONEROA BAYHAURAKI各一本買った、試飲代込みで75$。

 日本に戻りHAURAKIを抜栓した、翌日の味が素晴らしかった。一日でこれだけ味が変わったのは初めて経験した。このワインを手に入れる方法を考えてみたい。 カベルネ・ソビニオン62%、メルロー20%、カベルネ・フラン14%、Malbec 4%と4種類のぶどうのワイン。Malbecは?

 小雨のなかロッジに戻り、シャワー(別途料金;水は貴重で雨水が水源のためとのこと)を浴び、濡れたズボンなどアイロンとドライヤーで乾かし一息ついた。タクシーを呼びフェリー乗場へ、2時に乗った。天気は回復、オークランドのフェリー乗場に荷物を預け市内を散策、頼まれた土産の蜂蜜Honey-Manukaを買いエアバスで6時前に飛行場に着いた。

ラウンジでビールを飲みながらのんびり搭乗を待った。 機内の席は最前列で一人、控え目なサービスも好感、シャンパン、ワイン、ビビンバもしっかり食べた。内容も良い。Koreanの人気は本物のようだ。映画も見ずしっかり寝た。朝のお粥も旨かった。朝の4:20インチョン着。ラウンジは開いていた。シャワー、仮眠室もある。シャワーを浴び久し振りの日本の新聞をゆっくり読んだ。

 

写真はワイヘキ島の花で名前は分からない。

右上はアガパンサス(ムラサキクンシラン)のようだ、右下は Peninsula Estate Wines

 

 

 

 

                                                     05年1月記