蓬 峠
2004年9月10日(金)11日(土)
荒井(38C) 永井(38W) 関(40C) 関谷(29W)
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9月10日 
JR上野(特急)7:20―土合9:59 10:20―土合橋10:30―一之倉出合
11:15(雨具を着る) 11:25―12:18(昼食)12:50―鉄塔(下側)13:50―旧道合流点14:00―白樺避難小屋14:05―蓬ヒユッテ15:16

 今年(2004)は台風の当たり年、既に6個の台風が日本に上陸し各地に被害をもたらした。今回台風18号超大型風台風が九州から北海道へと通過して行った。その後北方に冷たい高気圧、南に暖かい高気圧が張り出し、その間に発生した前線が日本列島に横たわっている。天気予報で群馬県側は曇り後雨、新潟県側は曇り後晴れとなっていた。荒井さんには雨が降ったら山へ登らずに、仙の倉山荘直接行くと伝え、その時は皆で相談しようと言うことになった。
 水上1号に上野から乗車、荒井さんは大宮から乗車した。全員集合地は土合駅となっていたが、水上駅で4人全員が集合した。乗換えて地下もぐら土合駅にて下車。これから地上に出るまでが大仕事。約500段の階段を上らなければならない、今回蓬峠登山の小手調べのようなもの。地上無人駅に出た時は、我々4人と女性1人の登山者だけであった。出発準備をしている内に雨がぽつぽつと肌に触れた。いやな雨雲がすぐそこまで来ている傘を差して歩き始めた。
 ダムを見ながら、土合橋よりすぐ右折して湯檜曽川沿いの新道に入る。雨に濡れた緑の葉は、活き活きと生えていたが雨だけはごめんだ。西黒沢の滝を見て進む。マチガ沢には増水しても問題ない立派な橋が架けられてあった。一之倉沢の出合を道標案内で知ることは出来たが、一之倉谷の岸壁を見上げること出来なかった。雨が更に降って来た雨具で身を固める。湯檜曽川は増水すれば道は水を被り変ってしまうので歩き難い。またある時は川淵の水の中を歩くこともあった。雨は小降りになって来た。幽の沢を渡り登ると巡視小屋前に出た。小屋後ろには虹芝寮が樹林帯の中に見える。芝倉沢を渡り、武能沢を渡ると白樺尾根への取付き、登山道は良くなって来たが急な登りである。地図を出して現在位置を確かめる。送電線下側鉄塔前に出た。
 雨は止んでも稜線はガスに覆われたまま、しかし、遠く天神平にある高倉山は望むことが出来た。まだまだ登りである上側鉄塔に近づくと巡視路案内と反対側に国道291号と小さく書いてある、何処に国道がある。旧道合流点に出た。この旧道が国道291号線で色々な歴史物語が秘められている。清水集落より清水峠を越して土合に出る国道を完成しても、雪崩による被害、水による被害を受けて一年と持たなかったとか……。
 すぐJR東日本白樺小屋に着いた。小さな小屋である中を覗くと土間にテーブルが一個置いてあった。清水峠への国道を右側に見て左側を進む。白樺沢の源頭笹中の道を登るが、所々ガレている所が見える。登山道脇に白い花可愛いウメバチソウが群生している。枝沢を渡り、ガレ場に来るといやな所、上へ下へと安全な箇所を探してはガレ場を横切る。このようなガレ場が何箇所もあった。最後の水場を過ぎてもその先にガレ場がありやっと蓬峠に着いた。目の前にカマボコ型をした蓬ヒユッテが見え、池塘の脇を通り、今宵の宿蓬ヒユッテに着いた。
 今日の泊りは我々4人だけでカイコ棚の上に荷物を置く。ヒユッテの管理人は無愛想なおやじである。暫くすると小雨が降り、明日の天気が心配になった。しかし、夕方になると雨も止み、外へ出て見ると、稜線群馬県側はガスに覆われているが、新潟県側は高曇り、下の方に灯りが見える。管理人の話だと土樽パーキングエリアの灯りだと言う。湯沢町の灯りも見るはずであるが、ガスに覆われたためだろうか今日は見えない。黒くなった山影を眺めると、一番遠くに苗場山、その手前の山並み左端に仙之倉・平標山が見える、日白山を尋ねると黒い山影の中に埋もれてしまっていた。
 ヒユッテの近くに道標がある。1972年2月群大山岳部3人が雪崩による遭難碑である。私以外の3人はこの遭難のため、捜索隊の一員であり、30年前の出来事であった。カイコ棚の上で夕食を済ませ酒盛りを始め、山の話に花が咲く。消灯は午後8時であるが、明日の天候を期して午後7時半、灯りを消して貰い床に就いた。
 翌朝ヒユッテの発電設備について尋ねると、ソーラーシステムでドイツ?製だと言う。電灯は12ボルト、夜間は非常灯1灯を付けてあるので、トイレなど行くにも便利であった。蓄電器は大型トラック用バッテリーを10個使用し、曇天でも6日間の灯りを確保出来ると言う。また玄関先に置いてある洗濯機を使う場合には、100ボルトに電圧を上げると、85%位まで上げる事が出来、洗濯は可能だとの話であった。小さい山小屋では発電設備・燃料などを考えると、ソーラーシステムによる灯りは良い。この蓬ヒユッテは北アルプスの山小屋などと違って登山者も少なく、経費も節約出来るので良い。資材・食料・燃料などは、ヘリコプターで荷揚げされるが費用が嵩むため年間荷揚げ回数も限定される。副食料は人により運搬されていると思った。
 午前3時頃起きて窓から眺めると、三日月が輝き、月の近くに金星が輝いていた。天気は良さそうである。午前4時過ぎ外へ出て見ると、天気は不安定、群馬県側はガス、新潟県側もガスがあり、中天だけ三日月が輝いていたと言う。まずまずの天気だろうと……。


9月11日
蓬峠ヒユッテ5:30―東俣沢出合7:12 7:22―林道終点8:03―JR土樽8:58

 朝食は午前5時、出発5時半。登山道は濡れ草も湿っているので下半身は雨具を着る。昨日見た遭難碑に別れを告げ、管理人に挨拶して土樽へ向けて下山開始。蓬沢源頭付近も所々ガレているので注意しながら下る。東俣沢出合に着き、歯を磨き顔を洗う。沢沿いの道ある所は水が流れ石も滑る。登山道の手入れが悪く歩き難い。樹林帯に入ると倒木したブナにキノコがびっしり付いている。誰もキノコの知識の持ち合わせがない。一見食べられそうである、取ってビニール袋に詰めて運ぶことにした。大分下った所でキノコ狩りをしていた女性に出逢った。キノコを判定して貰うと、茎のところを裂き黒い部分がある、これはツキヨダケで毒キノコだと言う。これはやばいとすぐ捨てた。仙之倉山荘でもしも食べたら偉いことになるところであった。しかし、山荘にもキノコの専門家はいるので、大事には至らないと思ったが、見事なキノコであった。
 林道を下っていると、蓬峠行き20〜30人の登山者、茂倉岳行き3人組にも出逢った。稜線は雲に覆われていたが、下界は晴天でかなり暑くなって来た。
 本日(9/11)は仙之倉山荘70周年記念祭、参加するために土樽駅午前10時09分で奈良場さんが来るので、山荘より車で迎えに来る事を聞いていたので、午前9時頃土樽駅に着き、コーヒーを沸かして待っていると、平沢さんと中林さんが車でやって来た。彼等は我々4人が土樽駅で待ち構えていることなど知らず驚いた様子であった。奈良場さんの到着を待って、山荘手前のゲートまで車で送って貰った。

2004年9月17日 関谷 記

蓬峠直前

蓬峠慰霊碑

糠喜び。実はツキヨタケ!

土合駅前