大鹿山・曲沢峠 (29W関谷) | |
月日 メンバー コース |
2001年9月1日 早崎、関谷 JR天王台(6:15)−(7:02)JR神田(7:04)−(8:14)JR高尾(8:46)−(9:46)JR甲斐大和(9:48)− 曲り沢入り口(10:00)−曲沢峠(11:50)−(12:20)大鹿山(12:50)−(14:20)景徳院(15:13)− JR甲斐大和(15:26)−JR高尾(16:32)−JR神田(17:36) ホリデーパス 2,040円 大月〜甲斐大和 往復320円×2 バス 甲斐大和〜曲沢入口 100円 景徳院〜甲斐大和 100円 |
曲り沢遡行 村営バスで曲り沢入口で下車して、曲り沢を登り始める。この付近の各沢は登り距離に比して、標高差が 大きく、尾根道も急峻で、沢も深く急である。そのため砂防ダムが必要になってくる。 舗装された林道を行くと、すぐコンクリートで作られた砂防ダムに出会った。僅かしか登らないうちに、又砂 防ダムがある。ニ、三つコンクリート製の砂防ダムを過ぎると、登山道脇に道が悪いと注意書きもあった。 舗装されている林道を更に進むと、崖が崩れて大きな岩が道を塞いでいる。最近崩れたのだろうか。通れる ように対策が全然とられていない。更に登ると、今度は石組みの苔むした砂防ダムに出た。 林道終点より登山道に入る。沢を渡る丸木橋は古く、かなり時間が経っているようにも見え、バランスを取 りながらやっと渡り切る。樹林帯内の登山道は比較的はっきりしているが、日当たりの良い場所の登山道 は、すっかり草に覆われてしまって、確認出来ない程に繁っている。ここ暫らく草刈りした形跡は見られない し、沢の所々が崩れいて、沢は大変荒れている。登るに従って、砂防ダムも全部石組みの砂防ダムになっ ている。石はこの付近で取った灰色の花崗閃緑岩で作られている。沢を堰き止める砂防ダムと、沢沿いに 土砂の崩れを防ぐための石組みの小さい堤防がいくつも整備されている。沢幅も狭くなる頃、登山道は消え て沢の淵を歩く。木は倒れ登山道を塞いでいるので、頭を低くして手を突き、跪いて通り抜けなけれぱならな い個所がかなりあった。沢を登っても登っても砂防ダムがあり、こんな小さな沢にも石組みの砂防ダムが十 数ヶ所見つけることが出来た。さて、この石組みの砂防ダムはいつ頃整備されたのだろか。セメントは全く 使用されていないし、苔むした石組みの砂防ダムもあるくらいだから、かなり時間が経過しているようにも思 えた。何故にこれまでしてこの曲り沢を整備したのだろうかと想像してみたくなった。 嘗て、この曲り沢は甲斐大和と笹子、いや、甲州と関東とを結ぶ、重要な道のひとつであったのに違いな いと思うほどになった。甲州武田信玄の時代から考えれば、約400年前から重要な道となっていたことも 頷ける。しかし、現在登山道はその必要性も失い、荒れ果ててしまっていて、廃道寸前のような気がした が、レンゲショウマ、ツリガネニンジン等の花々だけが鮮やかに咲いていた。 沢筋から離れて稜線までの道は、思っていたより傾斜も緩やかで登り易かった。曲沢峠に着き、その足で 大鹿山まで登っていった。 |
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鶴ヶ鳥屋山 (29W関谷) | |
月日 メンバー コース |
2001年9月29日(土) 早崎、関谷 JR天王台(6:15)−(7:02)JR神田(7:04)−(8:14)JR高尾(8:21)−(9:25)JR笹子(9:35)− No.46分岐点(9:50)−No.46鉄塔・稜線(10:15)−No.28鉄塔(11:15)−(11:30)昼食(12:00)− (13:10)稜線・1340m(13:20)−分岐点(13:55)−林道(14:30)−沢に出る(15:10)− (16:20)JR笹子(16:41)−(17:44)JR高尾(17:58) −JR神田(18:52) ホリデーパス 2,040円 大月〜笹子往復230円×2 |
鶴ヶ鳥屋山とは、妙な山の名前である。鶴は山梨県の都留と関係あるようにも思える。鳥屋は鳥を入れ ておく小屋。この付近の山では、渡り鳥の通り道にカスミ網を仕掛け、オトリ用の鳥を入れておく小屋のこと で、鳥が集まってきた頃を見計って、人間が鳥たちを驚かして、網に掛けて取るための鳥小屋である。 この地域には、波り鳥・雁と付く山がある。例えば、雁ヶ腹摺山・笹子雁ヶ腹摺山・牛奥の雁腹摺山。雁が 山稜すれすれに飛んで行くので、雁ヶ腹摺と名付けられている。雁以外の渡り鳥も、これらの山々を越えて 行ったであろう。 さて、中央線沿線、特に高尾を出てから甲府盆地に入るまでの山々は、共に谷が深く急峻な山が多い。J R笹子駅を後にして、船橋沢に入る、すぐ左手の尾根No46高圧鉄塔、巡視路の案内標より登る。距離は短 いがかなり急で、ジグザグに登って行く。巡視用の道、鉄塔までは良く手入れがされているが、しかし、これ から先の北尾根は、始めは登山道らしきものはあるが、ここ数年、いや十数年、手入れされた形跡がない。 落葉が積もり、大木・小木は朽ち果てて倒れ、荒れ放題である。登山道は近くを見ると分からないが、遠く の方を眺めると微かに判明できる程のもので、勿諭、登山のための指導標などはない。その上に急峻であ る。北尾根に付けられてある微かに見える登山道は、真直ぐに上へ延びていて急である。やっとのこ と、No28高圧鉄塔の脇に辿り着く。平成9年に建てられたという高圧鉄塔は、私の持っている国土地理院の 2万5千分の地図には載っていない。展望は素晴らしい所で、滝子山など手に取るように眺めることができる。 林道を越えて、また北尾根を登る。ますます登山道が不鮮明になる。登山客がいなくなり山の静かさが戻 ってくると、付近一帯は草花の天下。サラシナショウマ、トリカブト類の草花が一面に花を咲かせている。や っと縦走路に出たと思ったが登山道がない。稜線尾根ではないかしらと疑った。しかし、その先にも縦走路 は見当たらない。もしも、道に迷ったならぱ、引き返す覚悟で、今登って来た道なき道を再確認した。少し右 へ下ると登山道があった。小高い丘が見え、そこまで登ると指導標があったので、やっぱりこれが縦走路で あると確認できたのでほっとする。 鶴ヶ鳥屋山へ行くのを諦めて、反対側本社ヶ丸の方へ行くことにした。登りが急であれば下りも急である。 当り前のことであるが、登る時は苦しさのみであるが、下るとなると滑る。滑落する心配が増えて来る。指導 標が不十分な登山道であると、次の笹子へ下る分岐点を探さなければならない。縦走路のコブ、コブと言っ ても小さくても急である。ニつほどコブを越えたときに、笹子へ下る分岐点を見付けた。まずはこれでひと安 心。次は急な下り坂である。 林道を横切って尾根を下る。船橋沢の枝沢に出た。次は渡渉である。何回か渡渉をして、船橋本沢との合 流点。これまた渡渉である。下流のため水量が増えている、石を渡り対岸へ渡る。 今日は、富士山の近く、鶴ヶ鳥屋山へ登ったが、何か忘れ物をしたような気がした。そうだ。富士山を見るのを忘れてしまっていたのである。 |
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鶴ヶ鳥屋山・北東尾根 (29W関谷) | |
月日 メンバー コース |
2001年10月20日(土) 早崎、関谷 JR天王台(6:15)−(7:03)JR神田(7:04)−(8:14)JR高尾(8:21)−(9:19)JR初狩(9:30)− 国道20号分岐(9:50)−北東尾根取り付き(10:20)−(12:00)一本松(12:30)− 恩629分岐(13:10)−丸田沢(14:00)−林道入口(14:40)−(15:15)JR初狩(15:38)− JR高尾(16:32)−JR神田(17:44) ホリデーパス 2,040円 JR大月〜JR初狩 往復190×2 |
21号台風一過。秋晴れの青空。たくさんのハイカー達がJR初狩駅を下車した。しかし、鶴ヶ鳥屋山方面へ向った のは我々だけ。今日も静かな山旅になりそうである。国道20号線を西へ向って暫く歩いたあと左折する。砂防ダムが あり、林道は途中工事中。右側北東尾根への取り付き点で指道標を探すが見つからない。林道の山側は、土砂崩壊 を防ぐためセメントでかなり高くまで固められているので、とても登れる所ではない。尾根の末端を探す。急な草付き 斜面を滑り下りたような跡があったので、北東尾根への登り口はここしかないと考えて、薮を漕いで登って行くと、荒 れ果てた登山道があった。 尾根を登って行くと、大きな樹林帯内の登山道は良かったが、低木が繁っている所の登山道は藪漕ぎ同然。長い 間手入れをしていないため、倒木があり歩き難かった。落葉がかなり積っているのでクッションは良いが、急な登りで 汗をかいた。 目標となる一本松がある筈であるが、この付近一帯は赤松が沢山あって、一本松どころか千本松で、一本松の目 標が見つからない。かなり登ってから、枝振りの良い松を見つけたとき、名前は書いてなかったが、これが目標の一 本松であると確認して、樹の下で昼食をとった。 北東尾根は樹木が高く繁っているので展望はなく、急な尾根を黙々と登るだけ。稜線にある恩629石標に着き、一 休みしていたら、今日始めて鶴ヶ鳥屋山から下って来たハイカーに出会った。思案したあげく、丸田沢への一般コー スを下ることにした。あっと言う間に丸田沢の砂防ダムの上に着いてしまった。 この北東尾根の登山道は誰のためにある道であろうか。尾根東面斜面一体は20年前後の檜が植林されている。 物好きな登山者か林業関係の人々にしか利用されていなそうな道である。指導標らしい道標は、一般コース丸田沢 の渡渉点の右岸にあっただけで、その指導標も破損していた。 |
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天保山 (29W関谷) | |
月日 メンバー コース |
2001年2月24日(土) 関谷 地下鉄大阪港(10:30)−天保山(10:40)−地下鉄大阪港(11:00) 地下鉄 弁天町〜大阪港230円 大阪港〜堺筋本町270円 |
天保山への登山口駅、地下鉄大阪港に着いて眺めたが全然山は見えない。登山道ならず繁華街中の歩 道を歩いて行く。天保山と地名を示す立て札があったので、この近くに山があるはずだと思ったが、目的の 天保山を見付けることはできなかった。 近くに遊園地があり、大観覧車が回っていた。歩道を歩きながら、近くの人に訪ねた。その先の信号を越 え、更に進み、右折して下さいと言われた。突き当たりは安治川であり、その手前一帯が天保山公園である。 しかし、山に近づいているのにも拘らず、全然山は見えない。大きな碑が見えたが、目的の天保山を探すが 見つからなかった。この大きな碑の傍にある天保山の二等三角点が地面に埋もれて、上面のみ地面すれ すれに頭だけ見えた。近くに、天保山三角点の謂と、天保山山岳会の添書きもあった。 登山口駅より天保山頂上まで約10分たらず。日本−、いや、世界一低い山。海抜4.5mへ登ったのだとい う満足感を得た。大きな碑を見たら、明治天皇御観艦之所と書いてあり、天保山三角点より高く聳えてい た。天保山三角点は地面に埋まってしまったので、天保山は山ならず、平地にしか見えなかった。 山は高き故に尊からず 二等三角点天保山 北緯 34度39分17秒314 東経 135度26分7秒727 標高 4.53m 設置年 明治44年(1911年) 建設省国土地理院近畿地方測量部 (社)大阪府測量設計業協会 6月3日測量の日 天保山とは 天保二年(1831年)から二年間、安治川の川ざらえで出た土砂を積み上げて、できた当時は高さ20メート ルの山。 現在山頂を示す二等三角点標石(タテ、ヨコ15センチメートル)の上面 国土地理院発行二万五千分の一地形図に載っている山として、標高が最も低い山。 天保山山岳会 |