2000年5月3日(水)〜 5月5日(金)
仙ノ倉山荘(仙ノ倉谷、長ツル尾根、イイ沢、ダイコンオロシ沢)
奈良場、関谷、戸田、鈴木、中林、相川
5/3(水) 曇り〜小雨
高崎(6:00)−(7:35)土樽−(8:00)日白ダム−(8:30)山荘(13:00)−仙ノ倉谷、長ツル尾根の偵察−(15:15)山荘
 今年のGW後半は天気に恵まれそうである。快晴の中、6時に高崎を出発する。関越道の車の流れも順調で、赤城高原SA付近からは、谷川岳の双耳峰と手前に伸びる天神尾根が青空の中にくっきりと見える。水上IC付近では谷川岳がますます近づき、天神尾根の残雪に残されているであろうシュプールが望めるほどである。何度となく通った道だが、これほどハッキリと谷川岳を見たことはなかった。ところが、トンネルを抜けると期待を裏切る曇天。いまにも雨が降り出しそうな空模様である。2000mにも満たない山稜一つでこれほどに天気が変わるものなのだろうか。
 劔持さんの庭には一台の自動車もなく、まだ誰も到着していない様子。林道の様子を見に、そのまま毛渡橋まで車を走らせる。道の両端にはまだまだ雪が残り、林道の除雪はせいぜい1本杉までと思われた。

 上越線の鉄橋をくぐり、いよいよ本格的な林道となり、両脇には1m近い積雪が残っていても、きれいに除雪された林道は先へと延びている。1本杉で引き返そうかと迷ったが、行けるところまで行ってみようと、ゲートを抜けてS字カーブを通過する。林道は日白ダムまで除雪されていて、すこし広く雪がかいてある終点には、戸田さんの大宮ナンバーが駐車してある。フロントガラスがツユに濡れていて、今朝の入荘ではないことがわかる。土樽に引き返す必要もなく、結局、劔持さんには挨拶せずに済ませてしまった。

 戸田さん、鈴木さんに再会。ひと休みしたあと、上越線の下りで来る奈良場さん、関谷さんを迎えに土樽駅に向かう。このころから小雨が降り出し、例年通りのGWとなってしまう。10:01に到着の二人を乗せ山荘に引き返す。

 昨年は山荘の前庭にはほとんど雪が残っていなかったが、今年は80cmの残雪。3月からは2m以上も少なくなったが、今年の積雪の多さを物語っている。さらに二日後に、大量の降雪が残した爪痕を目の当たりにすることになる。

 中華風冷やしうどんで昼食を済ませた後、仙ノ倉谷の偵察に向かう。毛渡の吊り橋は上流側に大きく傾いているが、渡れなくはない。が、残雪を利用して三月の左岸ルートを進む。右岸の夏道は、ノボリカケ沢の出合で仙ノ倉谷の多量の雪解け水に沈んでいて、まったく使えない。昨年流木を使い渡渉したところも、今年は無理である。右岸ルートも、この先、仙ノ倉谷の流れが長ツル尾根にぶつかるところで途切れている。雪解けが終り夏道が顔を出すまで、この先に進むのは難しいと思われた。

山荘に戻る前に長ツル尾根の取り付き付近も偵察しようと、バッキガ平から稜線までヤブコギに挑んだ。昨年のヤブコギを思い出し重い気持ちになったが、今年の春は遅くヤブも薄いだろうと勝手に解釈して稜線をめざした。

昨年は気付かなかったが長ツル尾根の稜線には微かな踏み跡があり、今年は赤布も付いている。これを頼りに尾根を下り、最適の取り付き点を探すことにする。バッキガ平まで尾根を下り、残雪の上を右に進み、山荘の裏手に出るルートがヤブコギも少なく、傾斜もきつくないと思われた。

 夜、適度な疲労感と美味なツマミで酒量が嵩み、話題は「IT革命」「三国人発言」「PL法」ととどまるところをしらなかった。
5/4(木) 曇り〜ガス
山荘(5:40)−(7:05)長ツル第一展望台−(7:50)第二展望台−(8:50)馬の背−(10:30)稜線−(10:55)日白山(11:30)−(13:35)日白ダム−(13:55)山荘
 昨日偵察したルートを登高する。雲は多いものの、雨の心配はないようである。稜線に出て間もなく、小松沢側50m下のヤブの中に、クマが灌木に身をもたれて死んでいるのを鈴木さんが発見。学生の頃、谷川連邦南面の赤谷川源流で姿を見たことがあるが、それ以来の野生のクマである。昨年に比べヤブは薄く、うまく踏み跡を追っていけるため、去年のような苦しいヤブコギの心配はない。
 第一展望台にでるころにはヤブからも解放され、時々青空も覗くようになる。北尾根、ノボリカケ沢、仙ノ倉谷、平標沢、国境稜線がよく見える。仙ノ倉谷も随分黒く見え、おおきな雪崩があったようだ。ノボリカケ沢にもデブリが見える。長ツル尾根から見下ろすと、確かに仙ノ倉谷を通る夏道は使えないが、北尾根末端の杉林を過ぎたあたりの広い斜面を一段上がり、あとはトラーバースルートで平標沢の出合まで行けそうである。天気にもよるが、明日はこのルートでイイ沢の出合まで行ってみようかなどと話しながら休憩をとる。第二展望台、馬の背を過ぎ、1350mの平坦部あたりに来たころから急にガスが出始める。1450mから稜線までの最後の登りに苦しみながらも、昨年に続き日白山の頂上に立つ。

 相変わらずのガスで周囲の景色は見えないが、下りに迷うほどではない。腐りかかった晩春の雪であるが、これが程度なブレーキになり軽快に滑り降りる。

 下の方で人の声がする。クマ撃ちの勢子の声か。

 馬の背を過ぎ第二展望台に下る手前で、小松沢に落ちる尾根筋を下降する。昨年は馬の背を下った直後に小松沢に向かったため、途中で滝に出くわした。今年は、さらに少し下ってから小松沢に向かった。小松沢への斜面にはいくつかの大きな亀裂があり、快適な滑降は楽しめなかった。昨年の方が軽快に滑れたような印象がある。
 小松沢の渡渉は残雪の上を行く。杉の植林台地に出て日白ダムまで滑り降りた。登り5時間、下り2時間半の行程であった。

 山荘には、中林さんが入荘した旨の書き置き。小松沢に向かったとあるが、途中で会わなかった。奈良場さんはこれから退荘というハードスケジュールである。15:23発の上りで帰路につく。土樽駅まで車で送った。

 ストーブで暖をとり、いっぱいやりながら今日一日を振り返る。そのうちに、ひとりふたりと横になり、ついには二階に上がり寝込んでしまう。夕食もとらずに、今夜は静かな夜を迎えた。
5/5(金) 快晴 
山荘(5:55)−(7:30)平標沢出合(7:50)−(8:20)イイ沢出合(8:45)−(11:25)イイ沢河原(12:20)−(14:00)ダイコンオロシ沢出合(14:15)−(15:15)毛渡の吊り橋−(15:30)山荘(16:10)−(18:30)新前橋−(19:00)高崎
 まったく雲のない、正真正銘の快晴である。
 毛渡の吊り橋を渡り、昨日長ツル尾根から観察したルートを行く。雪も締まり順調に進む。デブリのブロックが間近に迫る小さな沢と上部にデブリが見えるノボリカケ沢を越え、杉林に入ったところで情景が一変する。上部からのとてつもない強風のひと吹きに襲われたかのように多くの杉がなぎ倒され、引きちぎられた杉の枝々が仙ノ倉谷の残雪の上に散乱している。さらに不気味なのは、ここから見る仙ノ倉谷である。谷の流れはあくまでも清流なのだが、その周りに展開する情景は、雪崩で押し流された土砂と流木混じりのデブリで、空襲で壊滅した都市の航空写真を見ているような錯覚を覚えるほどだった。自然が荒れ狂ったこれほどの爪痕を、仙ノ倉谷で見ようとは思いもしなかった。
 仙ノ倉谷から見るダイコンオロシ沢は、中間地点で大きなデブリが流れ出ているが、上部は広くて快適に滑れそうである。やがてイイ沢出合に到着。ここからから見上げると、イイ沢や西ゼンの残雪が初夏の日差しに輝いていて、その先は雲一つない真っ青な空である。今8:30。沢巡りをしてのんびりしようか、イイ沢を詰めて河原で景色を楽しもうか迷ったが、高度差600mの急峻な谷を、ブロック雪崩の危険を冒して登ることにする。雪は随分腐っていてステップは簡単に刻めるのだが、この登りはこたえる。上部に出てから、沢の中間部で小さなブロックが落ちるのが見えた。
 2時間40分かけてイイ沢の登攀を終了。久しぶりに見る谷川連邦主稜線である。関谷さんは50年ぶりのイイ沢河原だと感動していた。笹の中に寝ころび昼食。風もなく、なんとのんびりすることか。携帯電話で丑澤さんに一報を入れる。

 戸田、相川はダイコンオロシ沢のスキー滑降に挑む。沢の様子もわからない上に、地図も持たない状態で滑降するなんて全くの無謀なのだが、快晴の天気に誘われての決行となった。シッケイの頭を過ぎてでてきた雪渓が下まで続いている様子なので、ここを滑ることにする。クレパスが二カ所あり、一カ所はスキーを脱いで越える。きつい傾斜だが、ブロック雪崩に注意しながらジャンプパラレルで慎重に下る。ゴルジュを抜け、400mの高度を滑り終えたところでダイコンオロシ沢本谷に合流する。
 シッケイの頭を稜線沿いに下り、1620m付近から下れば本谷の滑降が楽しめたのだが、一つ上の支流を下ってしまった。ダイコンオロシ沢はイイ沢に比べて広くて明るく、ブロック雪崩も少ない様子。来年の5月はここの登下降もおもしろいと思う。

 イイ沢を下降した三人とダイコンオロシ沢の出合で会う。下降途中、二回のブロック雪崩を見たとのこと。昼を回るとやはり危ない。全員無事で何よりだった。
 ここからは、今朝登ったルートを毛渡沢出合まで戻り、晴天に恵まれたビッグな山行を終えた。(相川 記)