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なんでも雑記帖(2004年版)


正義の人(2004/09/04)

今日『正義の人』というタイトルで歴史編に杉原千畝氏と樋口季一郎氏をアップしました。どちらもナチスに迫害されたユダヤ人を助けた人です。

私が杉原千畝をはじめて知ったのは幸子夫人の手記『六千人の命のビザ』がドラマ化されて放映された時でした(主演 加藤剛)。
あの時代にこんな人がいたなんて、と自分の無知を恥じると共に、見終わったときの感動は大変大きなものがありました。同時にこれは正義とは何か、勇気とは何かと、あらためて考えさせられたドラマでもあります。

ユダヤ人を助けたと言えばスティーブン・スピルバーグの作品、『シンドラーのリスト』で知られるオスカー・シンドラーが有名で、杉原千畝は日本のシンドラーと呼ばれることがあります。

私はこの呼び方にいささか反発を感じます。
まず杉原千畝のビザ発行は1940年でシンドラーより3年前だったこと。シンドラーは自分が経営する工場の労働力とするためにユダヤ人を助けたこと。杉原氏の方が助けた人数がずっと多いことがその理由です。

お断りしておきますが、私はシンドラーを貶めるつもりは全くありませんし、彼の行為は称賛すべきだと思っています。しかしそれでも純粋に人道上の立場から、危険を顧みずビザを発行した杉原千畝の方により次元の高い精神の尊さを感じるのです。

樋口季一郎の名は、あるいは杉原千畝の功績の陰に隠れているかもしれませんが、この人は杉原千畝のビザ発行の2年前、満州国国境近くにあるシベリア鉄道の駅で満州国に入国を拒否されて立ち往生する多数のユダヤ難民を救った人でした。

エルサレムの丘にある黄金の顕彰碑。それはユダヤ民族の幸福に力を尽した人を顕彰する碑です。
そこに 『偉大なる人道主義者 樋口将軍』 と彼の名前が刻まれています。
なぜそうなったのかは本文をお読みください。

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話は変わりますが去年(2003年)の秋から今年の春にかけて半年間。山崎豊子の小説、白い巨塔が放映されたのでご覧になった方も大勢いると思います。私もドラマも見ましたし原作も買って読みました。

このドラマは過去に何回か映画化、テレビドラマ化されてきましたが、医学界の知られざる内面を描いて発表当時一大センセーションを巻き起こしたようです。しかし見終わった後私にとって一番印象的だったのは医学界の内面や主人公の財前のことではなく、財前のライバル里見のことでした。

医療裁判がはじまると、里見は原告側の依頼で事件の経過を正しく証言します。彼の証言は被告の財前や医学部にとって不利になる内容なのです。

里見の立場は微妙です。証言をすれば裁判に勝っても負けても大学にはいられなくなることは明らかでした。しかし里見は助教授という組織上の立場ではなく、純粋に一人の人間としての良心に従って証言をするのです。結果として一審では負けて里見は追われるように大学を辞職します。もちろん白い巨塔はフィクションですが、このドラマを見てすぐに連想したのが杉原千畝なのです。

正義とは時にはものすごい勇気を必要とします。特に組織に属している限り、組織の方針に背くことは大変な困難を伴うものです。そのためにかえって自分や周囲が不幸になることもありうるのです。

杉原氏の生き方は、組織人である以前に人間として正しくあれ、と訴えているようです。もしこんなことが現実に私自身に起きたら私はどう行動するでしょう。

自分の信念を貫き通す勇気があるか?
できればそうでありたいのですが、我が身可愛さで長いものに巻かれてしまい、それを例えば家族のためと言いわけして自分で自分を納得させてしまうでしょうか・・・・・・・

難しいテーマです。
今はこれからの私の人生において、このような問題に直面しないことを祈るばかりです(笑)


80000(2004/08/14)

ふと気がつけば、このコンテンツを更新するのは今年で3回目です。
私のグータラ&ものぐさな性格がよく表れています(^。^)

で、今日不思議なもので80000カウントになりました。
大勢の方々にご愛顧賜り、厚く御礼申しあげます。

↓こんなものが現在進行中です

●工房ではオーディオアンプを製作中です。亀さんペースでのんびり作ってますから、完成は9〜10月ごろでしょう。

●歴史ものは、今までずっと中世でしたが久しぶりに現代 ・・・杉原千畝と樋口季一郎・・・ のことを書いています。杉原氏は日本のシンドラー・・・この呼び方に私は反発しまています・・・と呼ばれてテレビドラマにもなっていますからご存知の方も多いと思いますが、樋口氏は杉原氏ほどの知名度はないような気がします。

どんなものになるか、お楽しみに。

で、相変わらずジャズ関係はありませ〜ん(笑)

それでもお見捨てなく、今後とも上州屋をご贔屓に♪


平将門(2004/1/30)

歴史編に「平将門」をアップしました。
三部作。一個人を対象にした文章の中では最大になりました。

今から約1060年前。
坂東を、朝廷を揺るがした将門の乱。

将門は新皇を称しました。
もしこの乱が成功したらその後の歴史はどうなったでしょう?

秦の始皇帝の御幸(みゆき・・・行列)を眺めた楚の項羽は、 『あいつに取って代わってやる』 と叫びました。取って代わるということは、つまり皇帝を倒したものが新たな皇帝になるということで、事実中国史はそうなっています。

将門が天皇に取って代わったら・・・彼の反乱が成功したとしても、そうしたかはわかりませんが・・・その後の日本史には取って代わる人が続出したかもしれません。しかし実際にはそんなことはありませんでした。

それが良かったのか悪かったのかは論議する必要はないでしょう。なぜならそれが日本であり、日本人が持つ特異性なのですから。この「特異性」については大いに研究する必要があるとは思いますが。

将門の乱はその後の日本史において大きな意味を持つことになります。平忠常の乱、前九年・後三年の役を経て次第に力をつけてきた武士は保元・平治の乱で政治に目覚め、ついに政権掌握に成功するのです。

そうかと言って将門をその後の武家政治の先駆者として見ることは私にはできません。
なぜなら彼の乱は思いつきであり、あるいは周囲に煽られただけであって戦略や政治的要素がなかったからです。

とはいえ、この平安中期。
見かけは華やかな貴族政治が頂点に達しようとしている時、またその反面では一般庶民が国司の搾取に苦しんでいた時、このような漢(おとこ)の出現は日本史上の痛快事ではないでしょうか?


同窓会(2004/1/12)

1月3日は中学校時代の同窓会でした。
私は幹事の一人としてこの日を目標に、去年の6月以降数回にわたって打合せをしてきましたが、いよいよ本番です。

同窓会は5年に一度定期的に開かれ、今回で4回目になります。
けっこう頻繁にやっている部類なんでしょうね。
例えば職場でそんな話をすると大抵の人が驚き、自分達は同窓会なんて全然やっていないと言われることもあります。

内部的には幹事長(1名)、副幹事長(男女2名)、事務局(4名)、各クラス役員(12名)、会計(1名)と、一応組織のようなものもできていて、それぞれの役割は大雑把ですがこんな具合になっています。

幹事長は全体の取りまとめ、開会の挨拶

副幹事長は幹事長の補佐、本番での司会

事務局は案内状の送付、各種連絡・取りまとめなどの事務作業

クラス役員は1組から6組までの各クラスから男女2名、計12名。クラス内の卒業生の現住所等の調査、本番当日の受付係

会計はもちろんお金の徴収・支払いです

私は2回目からクラス役員、今回から事務局長となりました。幸いパソコンは得意なので資料作りも簡単でした。

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会場はJR高崎駅のシティーホテル。
受付は12時、開宴は13時から。

私達幹事は11時30分に集合。
簡単な事前打合せをした後、みんなで受付をセッティングします。

12時過ぎから出席者が続々来場。
キャ〜お久しぶり〜♪と女性達の黄色いがあちこちで聞こえます。

卒業生は240人いましたが、住所がわからず案内状が出せない人、残念ながら亡くなった人もいます。恩師の先生を含めて69名の出席です。出席率は高いのか、低いのか・・??

久しぶりに会う先生方、クラスメート達。
幹事が事前に設定していたのは二次会までですが、実際には三次会まであって、和気あいあいと楽しい一日を過ごすことができました。

会場には10人がけのテーブルが7つありまして、着席する場所は抽選で決めます。
ぬあんと! 私の周囲は女性ばかり♪
ただでさえ下がっている目尻がますます下がるおとうさんでありました♪

抽選ですからこれはまったくの偶然です。
幹事の特権乱用ではありません(笑)

私は接待というものをしたことがありません。会社での飲み会は職場の数人で行くとか、あるいは忘年会になります。これはこれで悪くはないのですが、どうしても自分の役職・立場などを考えるとある種の『かまえ』が生じてしまいます。

それに引きかえ、学生時代の友人って本当にいいものです。なんの利害関係(笑)もありませんし、子供のころからの知り合いですから気取る必要もないのです。特に中学校時代の友人は近所に住んでいた人、近所ではないけれど幼稚園・小学校が同じだった人、同じクラスになったことはないけれど顔も名前も知っている人・・・・・半分位は幼馴染のようなものです。

私: お久しぶりでございます。ゴロピカリです。
先生: まあ、○○に住んでいたゴロピカリ君?

・・・この先生は私の担任の先生で、卒業以来36年ぶりにお会いしました。
私の名前も家もちゃんと覚えていてくださったのです。大感激〜♪・・・・・

友人(男): お前から原チャリ借りて乗っていたら無免許で捕まったよな〜
私: そうそう!あの時はまいったなあ(二人で大笑い)
・・・これはその後の高校時代の思い出・・・
私: オレ、お前の家に遊びに行ったことがあるんだぜ。覚えている?
友人(女): そうだったの? 覚えてないわ
私: 冷たいなあ
友人(女): 私も、ゴロピカリ君の家に行ったことあるわよ
私: へえ、全然覚えてないや

・・・これは小学校時代のこと・・・

と、まあ、こんな具合に会は進行して行ったのであります。
オトーさんは仕事からも、家庭からも解放されて昔話・・・先生に怒られたこと、部活のこと、遊んだこと、喧嘩したこと等々・・・に花が咲き、あっという間の半日でした。そして早く次の同窓会にならないか、と思うオトーさんでありまた。


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