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なんでも雑記帖(2000年版)


■ 我が家の重大事件 (2000/12/26)

もうあとわずかで年が明けます。平凡な我が家でもいくつかのデキゴトがありました。

4月 ● パソコンを買う

当家にしては自動車購入以来の設備投資です。
ハードはコンパックのプリサリオ3566。キャノンのプリンターとロジテックのCDRWも同時購入です。
このおかげで、半年間であるものを○ピーすること130枚。CDRWは、完全にモトが取れました。(笑)
でも子供は凄いです。ちょっと教えただけでインターネットもEメールもどんどんやってしまうんですから。
それから会社のH君がデジカメをプレゼントしてくれました。謝々。

6月 ● ホームページ作成を始める

勤務先の営業所にいるSさんに「ホームページを作ったら?」と薦められました。
「え〜、オレなんかだめだよぉ〜」
「でもジャズにオーディオに、いろいろ書くことあるでしょ」
「そ〜だな〜・・・・」
八木もおだてられて木に登りまして、それじゃやってみるか、と生まれついてのお調子屋精神を発揮しまして取り掛かることになりました。
そして7月30日のことです。まだ早いかなあ、と思いつつも誘惑にかられてついにアップしました。

7月 ●県大会

私は運動には全然縁のない人間ですが、息子(中3)はテニスをしていまして、市の大会で優勝し、県大会に出場しました。
2回戦で惜敗。

8月 ● 家族サービス

新潟の瀬波海水浴場に行きました。ここは水がとってもきれいで気に入っているところです。
今年で4年連続行っています。

9月 ● 小旅行

奥方と小旅行をしました。山梨県の山中湖です。よく晴れた日で、富士山が良く見えました。

● 訃報相次ぐ。

この月、しかも一週間で父方、母方の伯父が相次いで亡くなりました。11月には母方の叔母も。
去年の8月に父を亡くしてから1年ちょっとで、近親者が4人も亡くなってしまいました。この時ばかりは、自分はそう言う年代なんだなあ、とつくづく思いましたね。

11月 ● ブレッカー

富士通コンコルドでマイケル・ブレッカーが来たので見に行きました。カンドーものです。やっぱりジャズは、いや音楽はライブだな。

去年の今ごろはパソコンを買うどころか、ホーム・ページを作るなど夢にも思いませんでした。でもそのおかげで、この半年間でいろいろな人達と出会うことができました。年齢も地域もまちまちですが、そこがまたいいと思います。
具体的な名前をあげて恐縮ですが、GAKOさん、ドラさん、Kさん、マダム・Yさん、ミキさん、NAOMIさん、masakiさん、siretokoさん、Uenoさん、Keleyaさん、おっちゃん、ぶーぶーぜみさん、KIMKATSUさん・・・・・。
そしてhidさんとは実際にお会いすることができました。ひろ@さん、ニカの夢さん、いつかまた会える日が来ることを楽しみにしております。

もうすぐ21世紀ですね。21世紀も皆様に幸多かれと祈念しつつ、よいお年をお迎え下さい。来年もよろしくお願いします。


■ 忘れる(2000/12/18)

年末です。忘年会の季節です。ボーネンカイ。日本人には聞きなじんだ言葉ですね。でも外国(特に中国、韓国)はわかりませんが少なくとも欧米諸国には「年を忘れるための宴会」と言うものはないようです。日本人の国民性は、過ぎたことを「忘れ」たり、「水に流す」ことができるのです。
そう言えば、今では年代は西暦を使うのが普通になりましたが、官公庁を中心に元号を使うところもまだまだあります。日本では(昔の中国もそうでしたが)天皇が交代した時、或いは人心を一新する意味で元号を変えることがしばしばありました。
日本人は元号を一つの区切りとして、
過去にキリをつけてきたと言えます。つまり日本人にとって歴史はここで不連続になるのです。
あまり良いたとえではありませんが、1945年8月15日の前後ほど、この不連続性が現れたこともないでしょう。それまでの軍国主義(私は当時の日本は軍国主義国家だったとは思っていません。これは別の機会に)は過去のものとなり、一転して連合軍の押し付けながら民主主義国家になった、と誰もが考えました。
このキリのつけ方が上手くできなかったため、従軍慰安婦をはじめとする戦時中の問題を現在でも引きずることになります。
一方、例えばヨーロッパ人にとって歴史とは
過去と現在を結ぶ連続した線とも考えられます。日本人に対して、欧米人は執拗で執念深いと言われるのは、ある意味ではキリをつけられないためでしょう。欧米人にとってキリをつけるのは、「最後の審判」の時だけかもしれません。

過去を忘れる国民性は、日本をして世界に冠たるノーテンキ国家に成長させました。もっとも私にしてみれば、しつっこい欧米より、日本の国民性の方が気が楽ですがね。

追記:江戸時代、「敵討ち」は幕府に認められ、いわば制度化しました。これは物忘れの激しい国民性の裏返し以外の何物でもありません。 


■ お習字(2000/12/07)

休日家にいる時は、読書するか、ジャズを聴くか、パソコンをいじるかのいずれかですが気がむくと道具を取り出してお習字をしています。
先日、知人のKさん(掲示板のKさんではありません)から一筆書いて欲しい(毛筆)と頼まれました。
9月には、親しくしていただいているドラさんに頼まれて「龍」の字を書きましたが、今回のテーマは「心」です。
私はお手本がない時は、鉛筆でメモ紙にイメージするものを書きます。まるで、美術のデッサンみたいです。(笑)
龍の字は、龍が口を開けて獲物(龍が獲物を狙うかどうかは別として)に襲い掛かるところをイメージしてみました。
しかし、心。一文字では難しいですね。画数も少ないし。「真心」の二文字にしようと思っています。
どちらも美しい字です。力強さより優雅さを出したいところです。
優雅なんて私のガラではありませんが、一ヵ月もあればなんとかなるかな。
 


スタンダード曲(2000/11/26)

リッチー・バイラークの「恋とはなんでしょう」を聴いています。スタンダード曲が中心で、ALL THE THINGS YOU ARE、GREEN DOLPHYN STREET、GOOD BYEなどですが実に見事な演奏です。(1999年度作品)
最近このようなスタンダードの「素直な演奏」はめったに聴くことがありません。テーマでもソロでもやたらと「口数」が多く、また本来スローな曲でもソロになったとたん倍テンポになってしまうとか。
なんとなく、自信がないから、スローはニガテだから、それをごまかすために口数を多くし、テンポを早める人が多いのではないでしょうか。
そんな気がするのです。アップ・テンポが悪いと言う意味ではありません。ビル・エバンスの枯葉はかなり早いテンポですが素晴らしい演奏です。
アップ・テンポの曲はある意味では「口数」の多さでごまかすことができるのです。
チャーリー・パーカー、クリフォード・ブラウン、マイルス・デイビス、コルトレーン、ビル・エバンス・・・・ジャズの巨人達は例外なくスロー・バラードの名手でした。
私は演奏家の力量はスロー・テンポの曲で測ることができる、とさえ思っています。
現在若手の中でスローな曲をスローなままで演奏し、なおかつ新鮮で素晴らしい感動を与える、そんな演奏家はいないでしょうか?
(私が知らないだけかもしれません。いたら教えてください)
 


歴史を知る(2000/11/26)

このホームページにもコーナーがありますが、私は日本史と言うものが大好きです。日本は世界に誇る文化・・・これは一口では言えませんね。たががお茶を飲むことを芸術の域にまで高めた茶道、繊細・緻密な懐石料理、写楽や北斎の絵・・・・・があり、それと同時に誇るべき歴史もあると思っています。

私は40才くらいの時、ふと思いましたね。
例えば外国人の友人ができたとして、その人に日本の文化や歴史と言うものをその人に説明できるだろうか? と。
日本に限らず、どんな国の人間であっても、自分の国の歴史や文化について理解できないどころか説明すら出来ないのは、国民として恥なのではないか・・・・。ま、思い過ごしでしょうがね。

もちろん一国の文化や歴史はどんな国であっても多種多様であり、その全てを説明するなど不可能に決まっています。
しかし邪馬台国以来約1800年近い歴史の流れの中で日本人は様々なことを考え、行動してきました。
私にとって興味のあることは、その事件は何年何月に起きた、と言う単純な知識ではなく、そのような事件が起きた日本とは、そのような行動をとってきた日本人とはどんな思考をする民族なのか、と言うことなのです。
学者でもないシロウトの私にそんなことがわかるはずもないのですが、いろいろ読書を重ねることで少しでもわかりたいと思っています。
 


文化の日(2000/11/03)

文化の日です。
普段軽く、文化と口にしますが、その定義って結構むずかしいものです。
文化を定義する前にまず、文明というものについて私見を述べたいと思います。
文明とは、機械文明と言う言葉どおり、現状のある行為を、より快適にするための機械類やそれに関する技術とでも言いましょうか。より快適とは、早い、安い、うまいとか、どこかで聞いたことのあるようなものですね。
この「より快適」なものを追求するため、機械類は過去のものより、現在のものの方が、高性能なのは明らかです。つまり性能は、変化しているのです。
普通、この変化は文明の進歩と呼ばれます。
文明は理解ではありません。「より快適」なものに理解は必要なく、誰でも納得するからです。(この場合理解とは、機械の開発、製造等にかかわる技術の理解ではありません。よりイメージ的なものです。)
一方、文化とは何でしょうか。人間が過去から現在にかけて築き上げてきた有形・無形の成果の総称とでも言いましょうか?
その意味で、かなり精神的な部分が大きいように思えます。

さて文化には理解が必要です。
世界には国の数だけ、民族の数だけ、地域の数だけ、いやもっと細かい範囲で、それぞれの固有の文化があります。
とかく人間は、自分の理解できない、例えば外国の文化を、劣っているとか野蛮とかと言う簡単な言葉で片づけてしまう傾向があります。
文化には優劣はない、違いがあるだけだ。そんな言葉を聞いたことがあります。
またその意味で、文化とは発展や進歩とは無関係なものなのでしょう。
(北斎の絵と現代美術を見て、現代美術の方が「進歩」している、とは言えません。違う手法と感覚で創作しているだけです。)

自分に理解できないから、と言う理由で、他の文化に対して偏見を持つのは、ある意味できわめて野蛮なことでしょう。そして国際化が叫ばれる今日、どんな文化でも、理解できるように努めたいと思います。難しいことですが。
(おことわり、ここでは文明、文化と言うものをかなり狭い範囲でとらえています)


10月26日 (2000/10/26)

今日は結婚記念日です。もう20年もたちますが、不思議と離婚もせずに今日に至りました。
結婚なんて、考えてみれば無茶な話です。偶然(その人と巡り合うって偶然ですよね。)知り合った男女が一緒になって生活するんですから。
始めは、どんな夫婦でもそうだと思いますが、お互いの生活習慣の違いでしょう。けっこうギクシャクしたところもありましたが、今ではあきらめたのか、人間が少しは成長したのか、そんなこともなくなりました。
私達夫婦は、特別理想的カップルでもないし、世間のどこにでもいる、ごく普通の夫婦であり、ごく平凡な家庭だと思います。
波瀾万丈なんて全然ありませんが、それが一番の円満の秘訣なのかなあ。


掲示板の不安 (2000/10/07)

現在個人でホームページを持っている人は、何人いるのでしょう?
私のページを含めて、多くのホームページには掲示板があって、いろいろな人が書き込みしています。私の掲示板コーナーは「筆談室」と言いますが、はじめは適当に名づけました。
でも冗談ではなく、本当に筆談であることを、今更ながらに実感しています。

「人間は社会的な動物である」と言ったのは誰でしょうか?
人間が社会生活を営むに当たって、対人関係は最重要事項のように思えます。そしてそれは実際に誰かに会って、話をすることから始まるのではないでしょうか?
私の若いころは、当然ながらコンピュータがこのように一般家庭まで普及するなど、夢にも思いませんでした。また私が子供のころは、電話すらない家もかなりありました。

はて?と思います。
現代の子供(おそらく中高生)が、その成長過程において不特定多数の人間と筆談ばかりしていると、将来社会に出た時、人間関係を築けなくなってしまうのではないか?
それでなくとも、TVゲームに熱中のあまり、外で遊びたがらない子供が多いと聞きます。他の子供と遊ぶと言うことは、ある意味では学校の授業と同じくらい大切なことです。
そのような子供が増えたなら、日本の将来は・・・・・・・。

ま、中年おじさんの杞憂でしょうがね。


 1000カウント(2000/09/27)

今日、ホームページを立ち上げてから、訪問してくださった方の数が1000人になりました。まったくありがたいことで、心から御礼申しあげます。1000人目の人は私の大学時代の先輩、 Uさんでした。
Uさんには心をこめた熱い抱擁でお礼をしました。(笑)

掲示板を作って以来、これもいろいろな人に書き込みしていただいています。掲示板も面白いですね。
私が他の人の掲示板に書きこみしていると、妻が「まるで文通しているみたい」と言います。

「あ、なるほどね。確かに」と思いますが、どちらかと言えば文通よりアマチュア無線に近いですね。文通はあくまで一対一ですが、掲示板は会話を公表しています。誰が何を言っているのか、大げさに言えば世界中に見られているわけですから。ホームページは放送局、掲示板はアマチュア無線でしょう。

最後に、私のホームページを見て下さった方々、また、私がアツカマシく「リンクさせてほしい」とお願いしたら、快く承知してくださった方々、いろいろな人のご好意でここまでやって来られました。

みなさんありがとうございます。これからもよろしくお願いします。


ペンション(2000/09/09)

年に1〜2回ですが、妻と二人で小旅行をしています。先日は山梨県の山中湖に近いペンションへ行ってきました。
オーナー氏はペンション経営の傍ら真空管アンプを作っている人で、音楽を聴きながらいろいろタメになるお話しを伺うことができました。
アンプはVT−25とマスター自作のトランスを組み合わせたバッファー・アンプと2A3シングル、スピーカーはALTECのウーハ、ホーン・スコーカー、エレクトロボイスのツィータです。
たまたま私が持っているのと同じCDがあったので、リクエストをしました。私の家で聴くのと全然音質が違います。アンプ、スピーカーを始めとして装置が違うのですから当然です。別に特別な意味ではなく、私の装置の方が「ジャズ向き」だ、とは思いました。音が良い、悪いではなく、好き、嫌いの好みの問題です。やはりJBL(私のスピーカーはJBLなのです)は違うわい、などと変に納得したりしました。


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