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差別と文明


 一口に差別といっても、人種差別からはじまって、男女間の性差別や、主義主張の異なる相手に対する差別。日本国内では同和問題やハンセン病患者への差別など、その範囲は実に広く、それぞれの背景や原因も非常に多岐にわたる。それを一つ一つ書くこともできないので、思いつくままに書くことにする。

■奇妙な果実

 ジャズは19世紀末、アメリカの黒人が、奴隷としての歴史を背景に、彼ら特有のリズム・メロディ・ハーモニー感覚で創造していった音楽である。
当初は、差別意識から黒人音楽というだけで低俗、退廃と考えられていたが、次第にジャズに魅せられた白人も出はじめて、1930年代後半には白人のバンドも数多く出現するようになり、ようやくジャズは大衆の間に広まるようになった。しかし、差別意識が薄らいだわけではない。

黒人演奏家諸君!
ステージに上がった時、君たちは英雄だ。
しかし一旦ステージから降りたら、人間ですらないのだ!

いきなり、何のことかと思われたことだろう。
これは黒人トランペット奏者ロイ・エルドリッジが、入団した白人バンドで他の白人メンバーから様々な嫌がらせ、差別を受けて、ついに怒って黒人向けの雑誌に投稿した文章の一部である。ステージに上がるとは、もちろん演奏することをいう。
1941年、彼はジーン・クルーパ楽団に入団した。彼はジャズの歴史上、白人バンドに入った最初の黒人演奏家だった。ここで「事件」は起きたのだ。

 アメリカでは黒人の公民権獲得により1960年以降は禁止されたが、それまで南部では、黒人は学校、結婚、公共施設の使用などが白人とは別々になっていたし、白人女優と黒人俳優のラブシーンがある、という理由で上映禁止になった映画もあったらしい。
先日亡くなったモハメッド・アリ(当時はキャシアス・クレイ)は、ローマオリンピックで金メダルを獲得した。
これで黒人への差別は、いくらかは和らぐだろうと考えたアリ。しかし帰国後、差別の現実に直面したアリが、怒ってメダルを川に投げ捨てたのは有名な話である。

KKKと言う団体がある。白人による、黒人への狂信的ともいえるテロ集団だ。1865 年発足なので150年もの歴史がある。1930年ごろには、会員数は実に500万人ともいわれ、テロのほこ先も黒人だけでなく、ユダヤ 移民も対象になった。

犠牲者が木に吊るされる「奇妙な果実ゲーム」がはじまったのもこのころである。
奇妙な果実(Strange Fruit)とは、リンチで殺された黒人の遺体が木に吊るされ、遠くからは、あたかもその木になった果物のように見えるところから名づけられた。もちろんこれは犯罪だが、当時はニュースにもならなかった。

「奇妙な果実」は、ビリー・ホリデイ(1915〜1959)の歌でも有名で、これは当時、人種差別を告発する唯一の曲だった。
以下、歌詞と訳文を紹介する。

Southern trees bear strange fruit,
Blood on the leaves and blood at the root,
Black bodies swinging in the southern breeze,
Strange fruit hanging from the poplar trees.  
Pastoral scene of the gallant south,
The bulging eyes and the twisted mouth,
Scent of magnolias sweet and fresh,
Then the sudden smell of burning flesh,
Here is a fruit for the crows to pluck,
For the rain together for the wind to suck, 
For the sun to rot for the trees to drop,
Here is a strange and bitter crop.

(訳文)
南部の木に奇妙な果実がぶらさがっている。葉にも根にも血がしたたっている。黒い死体は南部のそよ風に揺れ、ポプラの木から吊るされている。
はなやかな南部の田園風景。ふくれた両目ゆがんだ唇。マグノリアの甘い香りは、まもなく肉の焦げる匂いに変わる。
カラスがついばみ、雨が打ち、風に朽ち、太陽に腐り、木から落ちるこの果実。奇妙でひどい果実。


これらは古い事柄かもしれないが、しかし昨今しばしば起こる、白人警官による黒人射殺事件。それによる大規模なデモ。またアメリカ大統領による差別としかいいようのない発言は、法律的にはともかく、社会的にはまだまだ人種差別が根強く残っている証拠だろう。

これはアメリカでの話だが、差別が決して他人事ではないことはご承知のとおりである。
差別など、ない方がいいのはいうまでもないが、では差別のない時代はあったのだろうか。

■差別と文明

 縄文時代は差別のない、まれにみる平等社会だった。少ない収穫物を分け合い、病人はみんなで看病した。

一昨年、私が受講した放送大学の講義「群馬の考古学」で、担当の先生はこう解説した。この先生は、草津にある栗生楽泉園の重監房の発掘調査に携わった能登健先生である。

重監房跡を発掘調査する能登先生(右)

私は早速質問

収穫物を分け合うのはともかく、病人の看病は納得できません。
古代においては病気(疫病)は悪霊の仕業と考えられていたから、病人は看病するより忌み嫌われて隔離されたのではないか、と。

先生曰く

私も以前はそう考えていました。しかし偏見・差別は、社会がある程度裕福にならないと起こらないんです。ハンセン病の患者たちが差別されるようになったのは、明治以降のことですよ。

 私は、鮮やかな衝撃を受けた。確かに食料をはじめ、生活に必要なものの生産性が上がって社会が裕福になると、「持てる者」と「持てない者」が生まれ、貧富の差が発生する。そこから身分、序列が生まれ、富める者が貧者を支配するようになる。
これは差別のはじまりだろう。
いいかえれば、差別とは文化・文明を基本とする経済活動の副産物ではないだろうか。

 人間とは、ひ弱で自然適応力に乏しい生物である。
生きていくために暑さ、寒さ、食糧難等を克服するための方法を考え、作り上げたものが文明のはじまりだった。
冷暖房器具は、年間を通して温暖な地域に住む人は、決して考案しない。
現代の文明が、気候をはじめ厳しい環境下にあったヨーロッパで発達したのは、けっして偶然ではない。彼らには、生きのびるための「文明」が必要だったのだ。

ある意味文明とは、自然適応力に乏しい人間が生み出した、人工的な仮想空間ともいえる。
人間が造るものだから完璧なものはなく、どこかしら使い勝手が悪く、不自然で居心地が悪い。このため人間は常にその改良を続け、新たな仮想空間を造らなければならなくなる。

一種の悪循環だが、この悪循環は、普通「文明の進歩」ともいわれている。
そしてある種の文明をつくり上げた民族(国家)は、文明というモノサシで他を観察し、自分の価値観に合わない民族(国家)を劣等・野蛮と考え、自らの優位性を誇示し、相手を差別し、時には殺戮すら平気でするようになる。

その好例が古代中国における中華思想だろう。
古代中国が当時世界最大の「文明国」だったことはいうまでもない。
彼らは自らを中央の華とし、周辺諸国を野蛮国と考え、東西南北の野蛮人という意味で東夷・西戎・南蛮・北秋と蔑視してきた。日本は東夷(東の野蛮人)となる。

 話は飛躍るが、国家の行為がこうした価値観に基づく差別意識に支えられたとき、それは周辺諸国には言語に絶する惨禍をまき起こすことなる。
なぜならこの価値観とはただの幻想・妄想にすぎず、それに取りつかれた国家には取りつかれたという意識はなく、それだけに、やることなすこと露骨で残虐をきわめるからだ。

 ある価値観を妄信することが、いかに危険なことか。中世以降の世界史は、欧米諸国によるアジア・アフリカへの侵略の歴史だったが、それを心理的に支えたのが欧米人の有色人種への差別意識である。思想的にはキリスト教であり、物理的には軍事力という「文明」だった。

 一方、明治以降日本人にとって、絶対の価値とは軍事力のことだった。
日清・日露の戦争に勝利した日本が一等国と自惚れ、どれほどアジア諸国を見下し、禍をもたらしたことか。
一等とは、本来品性・品格のハズなのだが・・戦後は軍事力に代わって日本人の価値判断の基準になったのは「経済力」だった。

ドイツ人はアーリア人の優位性を信じるがあまり無数のユダヤ人を虐殺したし、アメリカ人は、彼らの信じる自由と正義とやらのために、空襲だけでは飽き足らず、原爆を二個も投下した。このような蛮行は、ある種の価値観を信じることによって、はじめてできることなのだ。

■文明とは

 今回文明は差別を生むと述べ、つづいてそれを否定するようなことも書きながらも、文明にどっぷり浸かっている私自身に矛盾を感じている。
その差別だが、私は差別に反対しつつも、心の中でいわゆる後進国、未開発国、発展途上国に生まれなくてよかった、と全然思わないといえばウソになる。
そもそも後進とか、未開発とか、発展途上とか、その言葉自体がすでに差別語なのだ。
それに、文明は差別を生むという考えが正しいとしたら、はたして文明とは何のためにあるのだろう?と自問せざるを得ない。


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