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蛇の話


■案山子

山田の中の一本足のかかし 

天気のよいのにみの笠着けて 

朝から晩までただ立ちどおし 

歩けないのか山田のかかし


 ご存知、童謡の「かかし」(作詞 武笠三、作曲 山田源一郎)である。
現在ではいろいろなスタイルの案山子(かかし)があるが、昔はだいたい同じようなもので、みの笠を着けて、顔はへのへのもへじを書いた案山子をよく見かけたものだ。


 さて、いきなり童謡で何のことかと思われただろうが、案山子を説明したい。なぜ一本足なのか、なぜ蓑笠(みのがさ)をかぶっているのか。

 結論をいえば、案山子の本質は蛇である。
現代でこそ一般的には嫌われる蛇だが、かつては害獣・害虫を補足するということで、農民にとっては田畑の守り神だった。蛇だから童謡では「一本足」なのだが、実際にはあれは足ではなく尻尾になる。足がないのだから、「歩けない」のは当然だろう。

つぎに蓑笠だが、古代の沖縄では、ヤシ科の植物である蒲榔(びんろう。檳榔とも書く)を蛇に見立てた。
長くてまっすぐな幹を胴、先端を蛇の頭にイメージしたものだという。
蒲榔は「クバ」ともいい、その葉は神事に欠かせないものだった。

蒲榔(南大東島気象台ホームページより)

 かつて沖縄では女神官の最高位を聞得大君(きこえおおきみ)といい、王の姉妹が選ばれクバで葺かれた仮屋で即位した。神は聖なる地とされる斎場御嶽(せーふぁうたき)に生えているクバの木を伝って降臨したという。

江戸時代には、蓑笠は萱(かや)、菅(すげ)、棕櫚(しゅろ)などを編んで作られたが、棕櫚は蒲榔と同じヤシ科の植物である。一方本土でも蒲榔は神聖なものとして扱われ、天皇や上級貴族が乗る牛車の屋根にはこの木の葉が使われ、檳榔毛車(びろうげのくるま)と呼ばれた。天皇や上級貴族達はは檳榔毛車に乗ることによって、蛇と一体化しているのだ。

民衆との関わりでは、クバの葉を使った蓑笠(クバ笠)、腰裳があり、また餅を巻いて蒸したクバ餅という食べ物もある。
日本本土でもクバは神聖なものとされ、天皇や上級貴族が乗る牛車の屋根にはこの木の葉が使われ、檳榔毛車(びろうげのくるま)と呼ばれていた。案山子がみの笠をかぶっているのは、蛇に見立てられたクバの先端がみの笠を連想させるからであろう。

古来日本だけではなく、世界各地で蛇は神、あるいは神の使いとされて日本をはじめ、多くの地域で信仰の対象となった。その強靭な生命力、手足がないのにすばやく動くこと、あっという間に敵を倒す毒など、古代人にはさぞ神秘的に思えたことだろう。
しかしキリスト教圏では、アダムとイブをそそのかすように悪の象徴でもある。

コブラに囲まれるインドの
蛇神ナーガラージャ
ツタンカーメンの頭飾りにも蛇が(〇のところ)


■身近なところで

 案山子だけではなく、蛇のイメージは我々の身のまわりに多くある。
たとえば神社の注連縄は、2匹の蛇が絡み合う様子だし、正月の鏡餅はとぐろを巻く蛇をあらわしている。

「かかし」の「かか」は蛇の古語で、カガ、ナガなどともいう。ナガは、インドで蛇神を意味するナーガに由来する(上記画像のナーガラージャは蛇神そのものである)。
日本語にも取り入られて、長、永である。確かに蛇は長い。
鏡(かがみ)はカガメ、つまり瞼がなく爛々と光る蛇の目のことで、鏡餅の上に乗せるダイダイは蛇の目を意味する。ほうずきの別名をカガチという。実の形が蛇の頭、赤い色が目を連想するから。

檳榔毛車 出雲大社の注連縄 鏡餅 ほおずき

 古代日本には、蛇にかかわる話やデザインなどが多い。
箸墓古墳(奈良県桜井市)に祀られる倭迹迹日百襲姫(やまとととひももそひめ)は、夜毎にやってくる夫の正体が蛇だと知って卒倒して無残な死に方をしたし、スサノオが退治したヤマタノオロチも広義の蛇であろう。また赤城山(群馬県)の神は大ムカデであり、男体山(栃木県)の神は大蛇で、両者が戦ったところが日光の戦場ヶ原という神話もある。

 また二重丸の記号はそのものずばり「蛇の目」であり、戦国武将の加藤清正の家紋でもある。蛇の目を描いた和式の傘が蛇の目傘で、蛇が頭をもたげる様子から水栓を蛇口という。ちなみに銭湯では蛇口とはいわず、カラン(鶴を意味するオランダ語)という。

加藤清正の家紋 蛇の目 蛇の目傘 蛇口


■イザナギ・イザナミ

  話は変わるが、古代中国の「神話」では三皇五帝といって、3人の皇と5人の帝がいたという。後に「歴史」の世になってから、最初に中国を統一した嬴諱 (えいせい BC259年〜BC210年)は、三皇五帝の徳を併せ持つということで「皇帝」という言葉を創作した。秦の始皇帝である。

三皇とは伏義(ふせぎ)、女媧(じょか)、神農(しんのう)をいい、伏義と女媧の二人は人面蛇身という異形の者だった。
ついでに書くと、神農は薬剤師の元祖のような人で、多くの植物を食べて食用と毒草を区別し民衆に教え広めたが、それがモトで体内に毒が蓄積して死んだという。

さて、かなり以前のことだが、何気なく三皇五帝のことをインターネットで検索していた私は、伏義と女媧の画像を見てあざやかな衝撃を受けたことを覚えている。
これが↓その画像である。

伏義と女媧
wikipediaより)

 これを見た私が真っ先に連想したのは、イザナギ・イザナミ夫妻が天御柱という柱の周りを回った後、性行為におよんだという神話である(つまりこの画像のように絡み合った)。結果として最初に生まれた子は、手足のない「蛭子(ひるこ)」だったので、夫妻は葦船に入れて流した。
古代には未熟児は捨てるという風習があったのかもしれないが、それよりなぜ蛭子だったかといえば、イザナギ・イザナミは実は蛇神だったのではないか。だから二人の子には手足がなかったのではないか。

「ナギ」が蛇の古語なら、イザナギという名前は、ずばり蛇をあらわしているではないか。だとすれば、古代ではこの夫妻の子の天照大御神もまた蛇神と考えられていたのかもしれない。もちろん弟のスサノオも。
イザナギの「「イザ」は、「誘う」を意味する。蛇に誘惑されたアダムとイブを連想させるが、まさか日本神話が聖書の影響を受けたわけでもあるまい。

PS 深層心理の研究で有名なフロイト(オーストリア 1856〜1939)は、夢に見る蛇は男性性器を表すとしたが、これに反対するユング(スイス 1875〜1961)は、男の夢にあらわれる蛇は女性性器のシンボルとした。フロイトは夢を潜在意識とし、そこに出現するすべてを性衝動に結びつける傾向があって、私のような門外漢には難解だし少々乱暴な意見に思える。

・・・ こういう後書きを蛇足というかも(笑)


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