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君よ目を凝らしたまえ〜なぜ事実から目を背けるのか


■731

 かつて満州に存在した旧日本陸軍(関東軍)の研究機関満州七三一部隊は、森村誠一氏の「悪魔の飽食」で知られる「人体実験部隊」である。
内容はここでは詳述しないが、ドイツのアウシュビッツに匹敵するほどのすさまじい戦争犯罪について書かれた本書は、発行と同時に一大センセーションを呼び、著者の森村氏は多くの賛同者とともに、右翼からは激しい批判・・・国賊、売国奴、非国民の罵声を浴びることになった。

 この本を基にした、混成合唱組曲がある。
森村誠一氏の作詞を再編成し、高名な池辺晋一朗氏が作曲した、全7曲の組曲である。

この合唱は、毎年のように国内各地で公演される。
開催地で、公演の趣旨に賛同する人が実行委員会を組織し、地元の人を集めて合唱団を組織するのだ。
本番では地元の合唱団に加えて、全国各地からこの合唱の経験者の有志が参加する。もちろん自費である。2015年度はこの合唱の25回目の公演で、タイトルは「人権と不戦のコンサート」。場所は群馬県前橋市のホールだった。

この群馬でのコンサート。
私は知人の依頼で合唱団に参加し、同時に会計係を任された。
練習は、同年4月からはじまったが、内容が内容である。旧日本軍の戦争犯罪を告発する歌なので、重苦しく、歌っていて決して楽しい歌ではない。

 本番は11月8日。私は合唱団の一員としてステージに立った。
あいにくの雨天だったが、約2000人収容できる会場は、立錐の余地もないほどの満員になった。保守王国の群馬で、このようなテーマでのコンサートとは信じられないほどの盛況ぶりであった。本番では、県内で応募した約70人に加え、全国から集まった団員を含めて総勢約250人が、群馬交響楽団の伴奏で全7章からなる組曲を歌った。その最終章が「君よ目を凝らしたまえ」で、歌詞は以下のとおりである。

君よ目を凝らしたまえ
目を背けたくても 背けてはならない
目を凝らしたまえ

私たちは信じよう人間の英知と良心を
科学を悪魔に渡してはならない
人間の英知が破れぬため私たちはカを合わせよう
一人になってはならない一人にならないために私たちは集まろう

君よ耳を傾けたまえ
耳を塞ぎたくても塞いではならない
耳を傾けたまえ

誤まちを隠せばいつか同じ誤まち
悲惨な記憶が風化していく
歴史の教えを忘れぬため私たちはカを合わせよう

ひとつひとつの小さな石となり
永遠の平和を誓う大きなケルンを築こう

君よ歌を歌おう
731の記憶を歌わなければならない
ささやくだけではいけない
暗い時間におおわれてはならない
私たち人間なのだから犯した罪を忘れぬため
だから高く語ろう
だから高く歌おう
未来のために
未来のために

■向かいあう

 先ほどの歌詞は、過去にしっかりと向かいあい、歴史的事実から目を背けてはならない。耳を塞いではならないという内容だが、このような歌があるということは、人間はともすれば事実から目をそらし、それに対する批判を聞きたがらない傾向があるいうことに他ならない。

人間は「国家」と置き換えられる。
日本の近代はもちろんのこと、例えばアメリカの奴隷制度、原爆投下、ベトナム戦争。ドイツのアウシュビッツ、ベトナム戦争における韓国軍の蛮行など。どんな国にも触れられたくない、語りたくない過去の「負の事実」がある。
しかし語りたくないとはいえ、それに真摯に向き合わないのは責任以前に、国家としての「品位・品格」の問題だろう。

外国のことは別として、数年来日本では近代史における事実から目を背け、それを批判する人たちには歴史の捏造、自虐、反日のレッテルが貼られることになる。本屋へ行けば嫌韓、嫌中の本がずらりと並び、街ではヘイト・スピーチ(最近では多少鎮静しているかな)。私などは、それこそ日本の品位を汚すもので、反日そのものと思ってしまう。

テレビをかければ日本の四季折々の自然、昔の面影を残す町並み、伝統工芸などに匠の技を披露する職人たち。それに驚嘆する来日外国人・・・そんな番組があふれている。私は、このような番組を否定するつもりはない。確かにその意味で日本は素晴らしい国だとは思う。しかし、こうした番組は嫌韓・嫌中の裏返しであり、その制作者は反日・自虐と中傷されることを恐れるあまり、日本とはこんな素晴らしい国なのだと強調しているとしか思えない。

なぜこんな状態になってしまったのか。
なぜ日本人は、素直に過去の事実を事実として認めようとしないのか。

■言葉のすりかえ

 まず日本人とは、「物忘れ」については世界最高の能力を持つ民族であるということだろう。
過去を忘れる、過ぎたことを水に流すのは、日本人にとって「お家芸」なのだ。(もちろん、良い意味で書いているわけではない)。

欧米人にとって時間とは、AD2016年のようにキリストの誕生日を基準にして過去から現在、そして未来へ続く連続したものである。過去の過ちは「最後の審判」までリセットされることはない。しかし犯罪については、いつまでもそれでは困るだろう。「時効」という制度がつくられたのは、キリをつけるためであろう。

日本では和暦を見ればわかるとおり、例えば天皇の交代時とか不幸・不吉なことが起きたとき年号が変更されるように、時間は不連続であり、リセットされると考える。どちらがいいとか悪いとかという問題ではなく、文化の違いとしかいいようがない。

日本人に比べ、欧米人の執念深さはこの時間感覚と無縁ではないだろう。というか、日本人が「忘れすぎ」なのかもしれないが。
江戸時代、武士の本質が戦士である以上、恨みを忘れるなどあってはならず、忘れっぽい日本人の特性をよく理解していた江戸幕府が制度化したのが「かたき討ち」であろう。年末に盛んに行われる忘年会とは、日本人の「お家芸」が習慣化したものといえる。
その年に起きたイヤなこと、忘れたいことを日本人は意識的に忘れる、あるいは忘れたフリをすることができるのだ。

しかし事実は厳然と存在する。それを否定したり、なかったことにはできない。
そんなとき、往々にして日本では「言葉のすり替え」が行われる。戦前では戦争は事変、撤退は転進となり、戦後は侵略は進出、占領は進駐となったのがそれである。
そこには言葉本来の意味が持つどぎつさ、生々しさを少しでも和らげようとする意図も見受けられるが、実際には現実を直視したがらない日本人のずるさがあるのではないか。

その意味で、敗戦を終戦としたのは現実を直視しない最大のものだと思われる。
言葉のすり替えは現在でもある。防衛省の在日米軍駐留経費負担は「思いやり予算」であり、未成年の売春は「援助交際」という。

では、いつから敗戦を終戦といい直したのか。
敗戦直後、東久邇宮首相((ひがしくにのみや 就任期間 1945年8月17日〜10月9日)は、議会で国民に向けて戦争終結の演説を行った。
その直前、陸軍大臣の下村定(しもむらさだむ 1887〜1968)は、演説原稿の中に「敗戦」という言葉を見つけるなり「敗戦ではなく終戦にしてほしい」と注文。東久邇宮首相は「敗戦という事実を理解するところから全てが始まる」と反対したが、結局は押し切られ「終戦」となったという。

東久邇宮(左)と下村定(右)


つまり太平洋戦争に限れば、その実態を直視しない態度は、敗戦直後に発生していたのだ。さらにすさまじいのは、敗戦ではなくて終戦なのだから、誰も「敗戦責任」を問われることがないことだろう。日本人は、自らの手で戦争時の指導者を裁かなかった。反省すべき最初の一歩でつまづいたのだ。
それにしても敗戦を終戦とは、見事なすりかえとしかいいようない。私は最大限の皮肉を込めて、その素晴らしさを讃えようと思う。

 さて今回の合唱は731部隊がテーマでだが、それだけではなく南京虐殺、慰安婦問題など捏造、反日、自虐とされる事件は数多くある。また太平洋戦争そのものを擁護する意見すらある。その最たるものが、「太平洋戦争はアジア解放のための聖戦だった」だろう。

 現実を直視せず、一体何が見えるのか。何を見ようとするのか。その先に何があるというのか。
それは「子供の論理」であって、大人としての態度ではない。
マッカーサーは日本人の精神年齢を12歳といったが、それから70年が過ぎても日本社会は、いまだに「大人」になっていないのだ。

国際社会は「なかよしクラブ」ではない。好きな国、気に入った国とだけ付き合うわけにはいかないのだ。
自分にとって心地よく、耳に心地よい意見だけを受け入れる姿勢。臭い物にフタをして、内にこもり、目を背けるような態度は国際社会で孤立して笑い者になるだけだろう。それこそ真の「自虐」であり、「反日」ではないか。

機会があればまた歌いたいと思う。
君よ目を凝らしたまえ、耳を傾けたまえ、と。

■最後に

 南京事件はなかった、731部隊は、太平洋戦争はアジア独立のための聖戦だった・・・・。
史実に興味がなく、判断もしないで気に入らない意見・考えを「捏造」と決めつける人たちがいる。また、他人を罵倒し、自分達の偏った知識を平気で押しつける人たちもいる。
特攻やインパール作戦など、氷山の一角にすぎず、平頂山事件や南京事件など、当時の日本軍や日本人の蛮行・愚行は枚挙にいとまがない。

真の反日とは何なのか、自虐とは何なのか・・・。70年以上前の出来事である。いまさら確たる証拠が出ないものも多かろうが、前後関係や多くの証言(日本人、外国人を問わず)によって、ある程度史実である確率が高いなら、それは認めてきちんと謝罪なければならないだろう。事実に対して謝罪するのは、卑屈でも屈辱でもないのだから。


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