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一郷山城


 

所在地 高崎市吉井町多比良
築城年
築城者 安倍之友?

 

 

一郷山城は牛伏山の東端にある。
ここには展望施設として模擬城が建てられているので、遠くからでも、たとえば上信越自動車道からでもよく見える。

ここからの眺望は素晴らしい。しかし戦国時代にこんな天守閣が存在するはずもなく、人寄せ・客寄せのためなのか、無意味な建築工事で貴重な遺構はほとんど破壊されてしまった。
悲しいことだ。町の担当者にとって、戦国時代の遺跡など無用の長物なのだろうか。

 

遠くからでもよく見える天守閣
しかし・・・・当時、こんなものはない
これが遺構とは無関係の天守閣 縄張図
(天守閣内の案内板より。○が天守閣の位置)
おそらく当時の郭跡
縄張図の@
左図郭を反対側から撮影 模擬天守閣の西には堀切や土塁と思われる
跡がわずかに残っている
縄張図のA

 

この城は永禄6年(1563年)、武田信玄の攻撃で落城した。このとき、こんな話が伝わっている。
このとき城には城主安倍之友以下300の城兵がこもっていたが、城内には水が出ないため麓の見銘寺まで汲みに下りて行った兵は、皆武田兵に討ち取られてしまった。

人はそれを  水汲みに行くのが地獄の一の木戸 行くとは見えて帰る人なし  と詠んだ。

同じ歌を詠んだ石碑が箕輪城の水の手郭の南にもあるが、出処はどちらだろうか。
さて、城兵は敵が近づくと大木や大石を落として防いだが、最後に落とした大石が真下の見銘寺に当たって寺は破壊され、起こった火事が山林に燃え広がり山頂まで届き、城もついに焼け落ちてしまったという・・・・ホントかな。

 


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