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保渡田城


 

所在地 高崎市保渡田町
築城年 永禄9年(1566年)ごろ
築城者 内藤昌豊

 

 

保渡田城は、かみつけの里の北西800mにある。
永禄9年(1566年)、武田信玄が箕輪城を落とした後、家臣の
内藤昌豊に命じ箕輪城代として西上州の支配を任せた。その後昌豊は保渡田城を築き居住したが、以前からあった砦を改修したとも考えられている。

昌豊が長篠の戦いで戦死すると、保科家に生まれて養子になった昌月(まさあき 1550〜1588)が後を継いだ。武田氏滅亡後、昌月は滝川・北条と主を変えたが、北条氏滅亡に先立ち保渡田城は落城。昌月は自刃した。
子の直矩が後を継いだが北条氏滅亡とともに所領を失う。直矩の子直卓は昌月の生家保科氏(会津藩)に仕えた。

堀跡 櫓台跡 櫓台跡


高崎市箕郷町生原の善龍寺は、内藤昌豊、昌月父子の墓所でもある。内藤塚(下の画像。高崎市指定史跡)といい、向かって右に昌豊、左に昌月が眠っている。

 

善龍寺 内藤塚

●案内板より
永禄九年(1566年)箕輪城落城後、武田信玄は重臣である内藤修理之亮昌豊に領有一帯の統治を命じ
戦災で焼失した善龍寺を満行山と改号させ再建に当たらせた。
昌豊は後に武田勝頼に従い、長篠の戦に出陣して戦死した。時に天正五年五月であった。
その子昌月は父の遺骸を奉じここに葬った。
昌月も天正十六年正月に逝去し昌豊の側に葬られた。
後世これを内藤塚と呼び伝え、また一名開基塚とも呼ばれている。
大切に供養されて今日に及んでいる。


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