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上野城


 

所在地 甘楽町上野
築城年 鎌倉時代?
築城者

 

 

場所は国道254号線を福島で小幡方面へ行き、小幡の交差点の先を左折する。
歴史は不明だが、江戸時代には代官所が置かれ旗本の知行所にもなったらしい。町中にこんな土塁や堀跡が残っているのは珍しいのではないか。

 

標識 平地の城にしては見事な土塁と堀跡

 

■甘楽町ホームページより

この土塁・濠跡は、「上野城」と呼ばれた館址の周囲を囲んでいた土塁と濠跡で、鎌倉時代に築かれた館址(土居館)と考えられる。徳川時代には幕府の直轄地として代官がここに居り、その後、旗本の知行所となって明治に至った。

四囲の土塁は東西南北に構築され、土塁の外側に濠が巡らされていた痕跡が伺える。一辺70m程の正方形の館址で、西土塁はほぼ良好に残存し、北土塁は約半分、東土塁は一部が顕著に残り、南土塁は全て削平されている。

現存する西土塁は、長さ66.5m、土塁の下幅8〜8.5m、上幅2.2〜2.6m、高さ2.5〜 2.7m。西濠の長さ約80m、濠幅は5.7〜6.8m。北土塁の長さ約35m、規模は西土塁と同様である。北濠の長さ約50m、濠幅は7〜10m。東土塁は長さ約10m、幅約5m、高さ2〜2.5m。

このように土居(土塁)で囲み、土居の外側に濠を巡らせた土居館は、鎌倉時代初期頃から築き始められ、南北朝時代になって要害堅固な山城が出現する。中世末期から近世になると、丘城や平山城から平城へと推移するのが築城の歴史であるが、当家の土塁・濠跡はまさに初期の段階の所産である。

 


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