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高山城


 

所在地 藤岡市金井
築城年
築城者

 

 

藤岡市金井の日帰り温泉南にある百間築地、要害山城、天屋城の三城を合わせて高山城という。

 

案内板(クリックで拡大)

 

百間築地の石垣。当時のものかは不明 百間築地から天屋城を見る
高山館(後の高山社) 高山社 高山長五郎(1830〜86)

 

高山氏は武蔵七党の一派、児玉党の秩父氏の一族である。秩父氏は平良文の孫の将恒(1007?〜1057?)を祖とし、将恒のひ孫の重遠が高山氏の祖となった。ちなみに同じく将恒のひ孫の行高は倉賀野氏の祖である。

その後、戦国期にかけて高山氏は、この地域の豪族として時には上杉氏に、また時には北条氏に属し、家を保全してきた。
明治時代、この家から高山長五郎という男が出て養蚕の新しい技術開発に成功し、家屋敷を改良し後進指導・教育の場とした。これが世界遺産になった高山社である。
高山社はかつての豪族高山氏の館で、周囲にはわずかに堀や土塁跡があったという。

 


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