平井城の支城
上杉氏は平井城の周辺に多くの砦を支城として造ったが、その多くは平地で要害性はなく、一重の堀に土を盛って土塁にしたような単純構造のものばかりだった。圧倒的な軍事力を以って上州に進攻する北条氏の前には、ひとたまりもなく落とされたことだろう。
ここではそうした小規模の砦を四つ紹介するが、こうした砦群を構築した目的は何だったのか。
敵の兵力を分散するのが目的なら、あまりにも小規模すぎてさほどの役には立たないし、かえって自己の兵力を分散するだけのような気がするのだが。
■飛石の砦(藤岡市東平井)
この砦は平井城から最も近いところに位置する。
現在跡地は運送会社の敷地で、わずかに土塁跡が残っている。
■東平井の砦(藤岡市東平井)
東平井の砦は、平井城から鮎川を挟んだ東にある。
現在は県道に分断され、東部は変電所の敷地になっているが西部には土塁と堀の跡が残っている。ここは砦の刑場で、取り壊せばタタリがあるのでそのままにしている、という話もあるが、さて。
■大神宮山の砦(藤岡市本郷)
大神宮山の砦は庚申山の東にある。
神明宮のところが本廓だが、その周辺は「ここは砦跡だった」という予備知識がないとわからないかもしれない。堀跡らしきものはある。
■常岡城(藤岡市神田)
神田はカンダではなく、ジンダと読みます。まあどうでもいいことですが。
常岡城は、北の庚申山から南に伸びた舌状の丘陵の南端にある。丘に登ったが、それらしい遺構はないことはないが、確信は持てなかった。