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大明神山砦


 

所在地 高崎市倉渕町川浦
築城年
築城者 真田昌幸?

 

 

大明神山砦は権田城の西、浅間神社の境内の裏山である。足場は必ずしも良好ではないが、坂はそれほど急でもなく手すりがあって登りやすい。でも注意は必要。

 

 

道端にある案内板
城砦というのは聞くが砦城というのは何かな?

 

道から見える鳥居 浅間神社
右の小道が登山口
階段があるのがわかるだろうか
これを登っていくと・・
巨大な岩に圧倒される やがて堀が見える(見づらいので赤線を引いた)
ここをさらに登ると・・

 

また堀が・・
こんな山の上の小城には珍しい?

 

本丸 本丸
本丸にある祠
ウィンクしているようでユーモラス
本丸にある案内板
(クリックで拡大)
本丸にある案内板
(クリックで拡大)

 

この砦は真田昌幸が北条氏の吾妻進攻にそなえて築いたともいわれている。
のろし台として使われたとしたら北方の、たとえば岩櫃城からのメッセージを受けて南方につなぐリレー基地(?)だったのか?


この浅間神社には、城跡以外にも興味深いものがあったので紹介する。

■石仏

登りはじめるとすぐ巨大な岩に圧倒される。寄り道して岩の下に行くと石仏が並んでいた。

 

岩場の下に寄り道

 

石仏がある

 

■百庚申

庚申とは古代中国の思想で、天帝は世界中全ての人を監視し、善行を積む人には天恵を、悪行を行う者は罰を下すといわれた。そのため天帝は人の体 内に三尸(さんし)という虫を忍ばせた。庚申の夜、三尸は寝ている人の体を抜けて天に昇り、天帝にその人の悪行を告げ口するというので、人々は庚申の夜は徹夜で起きていて三尸を天に行かせないようにする習慣があった。

 

案内板(クリックで拡大)

 

一面25体で4面100ある 左画像の拡大

 

庚申信仰は、十干の庚(かのえ)と十二支(じゅうにし)の申が結びついたもので、60日に1度めぐって来る庚申の日に行われる信仰行事を庚申待 (こうしんまち)といい、60年に1度めぐってくる庚申の年は特に盛大に行われた。これらの行事を記念して祈願をこめて建てられた塔を庚申塔という。文字として「庚申」と書くものが多いがこのように金剛を彫るものもある。

 

館の百庚申(高崎市)

 


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