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一神教と多神教


京都市東山の三十三間堂には有名な国宝、雷神像があります。
先日ここに行く機会があって、数々の仏像と共に雷神像を見た時、私は何とも妙な気分になってしまいました。

ここは京都でも屈指の観光名所であり、外国人の見学者も多いことからそれぞれの像には日本語の説明文といっしょに英文の説明文がありますが、ふと見ると雷神像のそれには Thunder God と書いてあったのです。

妙に感じたのはThunder ではありません。God のことです。
私が思ったのは、Thunder God という名前を、はたして多神教への理解があるのならともかく、そうではない、ごく普通の外国人に理解できるだろうか? ということです。

いうまでもなくGod は『神」の英訳ですが、これはキリスト教の神、つまり一神教の神を意味します。
また God とは、天地 万物を創造したことから造物主、the Creator とも言われます。これに対して雷神は、日本の八百万・・数多い神々、多神教の神の一つに過ぎないのです。

逆に一神教のことを良く知らない日本人には、God の概念を理解するのは非常に難しいのです。1816年に和訳された聖書にはこんな一節があります。

初まりに賢い者ござる。この賢い者、極楽と共にござる。この賢いものは極楽・・

当時も今もGod にあてはまる日本語はなく、この時点ではやむなく極楽という文字をあてはめているのです。God はそれまでの日本にはなかった概念ですから訳者はどの文字を当てはめようか、さぞ苦労したことでしょう。

現代ではこう訳されています

初めに言葉があった。言葉は神と共にあった。言葉は神であった。

結論として、日本語でいう神の英訳は God ではない。Godの和訳は神ではない。ということです。
厳密に言えば日本語で言う『神』とは多神教の神であり、一神教の神ではありません。昔も今もGodに対応する日本語は存在しないので、やむなく神という文字を使っているのです。

Thunder God という名前を、はたして多神教のことをよく知らない外国人は理解できるだろうか? という私の疑問は理解していただけたでしょうか?


■一神教について

日本人になじみのある神話といえば、日本神話以上にギリシャ神話ではないでしょうか。どちらも多神教の神話ですが、ギリシャ神話で言えば最高神ゼウスと彼の妻のヘラ以下、太陽神アポロ、美の神ヴィーナス、海の神ポセイドン、音楽の神ミューズ・・・まったく、よくこれほどまでに神を作った(笑)ものです。ちなみに音楽の神ミューズは、音楽のMusicの語源でもあります。

またエジプト神話も多神教で、太陽神ラーをはじめ、女神イシス(ラーの娘)、男神オシリス(イシスの夫)など多くの神々が登場します。
中国も天帝の考えが生まれるまでは、ある意味多神教でした。三国志演義に登場する祝融(しゅくゆう)は南蛮王孟獲(もうかく)の夫人ですが、祝融とは中国神話に出てくる火の神なのです。三国志演義の祝融は火の神祝融の末裔を称しています。

ここで私はしょうもない想像をします。
多神教は、一神教が生まれるまでは世界中いたるところで信じられていたし、むしろそれが普通の宗教ではなかったのか、と。

もちろんその宗教とは、ギリシャ神話にあるようなロマンを感じさせるようなものではなく、万物に宿る精霊が基本となるアニミズムだったことでしょう。そのうち精霊と交流し、精霊の意思を『神意』として他の人に告げ、儀式や争いごとの調停に、病気の治療に、政治に、さまざまな方面で『神託』を告げる人が現れます。それがアミニズムから一歩進んだシャーマニズムで、神託を行う人がシャーマンです。我々はそうしたシャーマンの一人に、邪馬台国の女王卑弥呼がいることを知っています。

私には、経緯はわかりませんが一神教は多神教の中からある種の『必要性』があって生まれたように思えます。
最古の一神教とされる宗教は、古代ペルシア(イラン)に生まれたゾロアスター教です。善悪の神がいて、光の神アフラ・マズダーとそれに従うスプンタ・マンユが善神。これに対抗するアンラ・マンユが暗黒神、悪神です。神は複数いるわけですが、最終的には善神が悪神に勝利するため、善神を一つの神と考える(広い意味での)一神教とされています。

ゾロアスター教の開祖、ザラスシュトラは紀元前13世紀ごろの人のようで、ユダヤ教、キリスト教だけでなく、初期の仏教にも影響を与えたと言われています。ちなみにザラスシュトラのドイツ語読みはツァラトストラ。あのニーチェの著作や、シュトラウス作曲による『ツァラトストラはかく語りき』のツァラトストラです。また、モーツアルトの歌劇魔笛のザラストロは、ザラスシュトラの変名です。

さて一神教の代表とされるキリスト教とイスラム教はユダヤ教を母体としていますが、私にはユダヤ教が生まれたのは自然派生的なものではなく、人為的なもののように思えるのですが、どんなものでしょう?

ユダヤ教の開祖は、古代メソポタミア地方に生まれたアブラハムです。後のユダヤ教、キリスト教、イスラム教はアブラハムの教えを基本としていて、そのためこの三つの宗教は別名アブラハムの宗教とも呼ばれます。
旧約聖書によれば、ある日神の啓示を受けたアブラハムは、父親のテラ、甥のロトともにカナン(パレスチナ)へ移り住みました。この地でアブラハムは妻サラとの間に嫡子イサクを授かります。ユダヤ人はイサクの子ヤコブを民族の祖として、アブラハムを父として崇拝しています。

舞台はエジプトに移ります。
紀元前1650年ごろ、エジプトではエジプト王国が周辺民族との争いに敗れ、その後約100年間、異民族の国、ヒクソスの支配を受ることになります。このヒクソスの政府高官にアブラハムのひ孫であるヨセフがいたのです。
ヒクソスがエジプト人の蜂起で倒れると、ヨセフが連れてきた大勢のユダヤ人は、エジプト人の奴隷なってしまいます。彼らユダヤ人がエジプトを脱出するのは300年後・・紀元前13世紀ごろのことです。
この後しばらく、私の素人的想像で話を進めます。

そんなユダヤ人の奴隷の中にモーセという男がいました。
常に何とかしてこの境遇を脱しようと知恵をめぐらし、仲間にはお前たちは奴隷として一生をおくりたいか? 自由がほしくはないのか?と何度も何度も説得したと思われます。しかし長年の奴隷生活ですっかり奴隷根性に染まってしまった周囲の人達は、なかなかモーセの言葉に耳に傾けなかったことでしょう。

モーセは知恵も勇気もあり、リーダーシップも持っていましたが、大勢のユダヤ人達をまとめ、意志を統一するためにはどうしても自分というものを絶対化しなければならず、そのためには第三者の権威(つまり神の権威)に頼らなければならなかったのでしょう。

神の権威に頼るというのは、モーセの力不足によるものではありません。自分(モーセ)の言葉を神の言葉とすることにより、烏合の衆であるユダヤ人は、自分達には神の加護がある、と強力な自信と意志を持つようになるのです。つまり私には、ユダヤ教とは奴隷だったユダヤ人を神の名の下にまとめるため、言い換えればユダヤ人の民族のアイデンティティを確立するための、旗印として生まれたように思えるのです。

ある民族が他民族からの侵略等の危機にさらされた時、自らのアイデンティティ・・民族意識を確立をしようとするのはよくあることです。
たとえば江戸時代末期。この時期の日本人はかつてないほどアイデンティティの高まりを見せました。いうまでもなく列強諸国のアジア侵略の恐怖であり、幕藩体制への不信感からです。その中心になったのは天皇でした。天皇を中心にしたのは、この時期の日本人は将軍という現実的権力より、宗教的権威を必要としたからでしょう。

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一神教の基本はある意味きわめて単純明解です。神の教えを絶対なものとして信じ、それに沿った行動を行えばよいのです。その教えも聖書やコーランに明記されていて、実にわかりやすいものです。

あらゆるものを『神の教え』とする一神教は、集団がある価値観の下に団結するためには最適な思想といえますが、そのための弊害も多いのもまた事実です。ある価値観を絶対視しすぎるため、その価値観から外れる別の価値を認めないことが往々にして起こり得るからです。

例えばキリスト教、イスラム教ではそれぞれ神の定義が違います。
ユダヤ教はヤハウェー、イスラム教はアラーをそれぞれの唯一の神とし、他の神の存在を一切認めません。これに対しキリスト教が成立すると神の実体に関する論議が起こりました。イエスは神か、ということです。聖書では『神の子』となっていますが。(キリストとは救世主の意味で、イエス・キリストとは個人名ではなく『救世主のイエス』という意味です)

余談ですが、ユダヤ教とキリスト教は、神と人間との契約でもあります。キリスト教が広まり、イエスが神とされたため、キリスト教徒は新たにイエスとも契約するようになりました。だからキリスト教の聖典は新約聖書(新しい契約)であり、それまでの聖書は旧約聖書(旧い契約)なのです。

結論としてキリスト教は父であるヤハウェー、子であるイエス、そして聖霊を合わせて一人の神としました。これが God です。
聖霊とは聖書でも定義されていない難しい概念で、それについての論議は古来何度もされたようですが今日でも結論は出ていないようです。このヤハウェー、イエス、聖霊の組み合わせを三位一体説といい、これを基本とするのがカトリックです。後にカトリックから分離したプロテスタントもやはり三位一体説を支持しています。

カトリックは圧倒的な政治力を使って時の権力者と結びつき、三位一体説に反対する人たちを同じキリスト教徒であっても異端者として追放することに成功しました。その異端者はキリスト教で言えば、例えばネストリウス派です。ネストリウス派の人達は迫害されて最後には中国(唐の時代)へ行き、その地で布教に努めました。中国では景教と呼ばれます。

この三位一体説に反対し、イエスはあくまで人間であると主張するのがイスラム教とユダヤ教です。イスラム教は偶像崇拝を一切認めず、アラーの肖像画を描くことさえ不敬とします。また戒律に厳しく、例えば飲酒はしないし豚肉を食べないことでも知られます。なぜなら神が禁止しているからです。

キリスト教では飲酒も豚肉を食べるのも別に禁止はしていません。イスラム教徒からキリスト教徒を見れば、神の教えを守らないばかりか、神でないもの(キリストのこと)を神とする罪深き宗教ということになりますし、キリスト教徒からイスラム教徒をみれば、神が禁止してもいないもの(飲酒など)を戒律にしている愚か者ということになるのです。

どちらも解釈の違いでしょう。宗教に拡大解釈はつきものですが、拡大解釈といえばこんなものもあります。次の文はアメリカの独立宣言の一節です。

我々は自明の真理として、すべての人は平等に造られ、造物主によって一定の奪いがたい天賦の諸権利を付与され、その中に生命、自由および幸福の追求がふくまれることを信ずる。また、これらの権利を確保するために人類の間に政府が組織されること、そしてその正当な権力は被治者の同意に由来するものであることを信ずる。

『奪いがたい天賦の諸権利』とは基本的人権のことです。歴史上におけるアメリカ人の実際の行動は別として、彼らは基本的人権とは造物主(The Creater ・・・ 神)から与えられたものと信じています。

これは独立宣言ですからイギリスの圧政から解放を願ってこのような文にしたのでしょうが、基本的人権が神から与えられるとは拡大解釈としか言いようがありません。なぜなら上記独立宣言の末尾は『信ずる』という言葉で終わっています。ということは信じるのはもちろん人間であって、神はこれらのことを明言してはいない、ということです。

拡大解釈も繰り返し主張すれば『真理』になるということですが、私はそれが別に悪いとは思っていません。また日本になかなか民主主義が定着しないといわれるのも、アメリカと違って『神からの贈り物』という意識がないからでしょう。

しかしこうした考え(神からの贈り物)がエスカレートすると、自分の信じる神は絶対の正義であり、それを信じない者は絶対の悪となり、さらに極端なことになると悪は殺してもかまわないし、むしろ神はそれを祝福する、ということになってしまうのです。これがイスラム教にも、キリスト教にもある『原理主義』です。

キリスト教原理主義者は人間は神の創造物であると信じ、進化論を否定します。また同様にコペルニクスの地動説も否定します。原理主義は現在ではイスラム教ばかりがニュースになりますが、キリスト教も含めてすべての原理主義者のために弁護しますが、彼らがそのままテロリストになるわけではありません。テロリストはその中でも特に過激な人がなるのです。

キリスト教はある意味、中世において最高の高まりを見せた、と考えます。
無数のイスラム教徒を虐殺した十字軍の蛮行や、悲惨というのもおろかな魔女狩、また中世から近世へかけての欧米諸国のアジア・アフリカ諸国への侵略を思想的に支えたのがキリスト教でした。かつてのキリスト教徒ほど、その妄想によって無意味に人殺しを重ねた人種は他にいないのです。ローマ法王ヨハネ・パウロ2世が十字軍の行為を謝罪したのはわずか6年間・・・2000年3月のことです。(イスラム教は他の宗教に関してはむしろ寛大でした)


しかし、こうした自分の信仰を絶対的なものとする考えは、なにも一神教の世界だけのことではありません。すっかり宗教に疎くなっている我々日本人は、かつて日本国内にあった宗教戦争をキレイに忘れているのです。少なくとも戦国時代以前の日本人は、宗教に関しては別の人種ではないかと思うほど『宗教的』だったのです。

平安時代から戦国時代にかけての寺院は現在考えられるような平和的宗教団体ではなく、僧兵という言葉があるように武装した軍隊と言った方が正確です。その軍事力はどこに向けられたかといえば、対立する宗派を攻め滅ぼすためであり、自分たちの権利を既得権として主張するためのものでした。

その宗教団体の強大さは、例えば比叡山は白河法皇をして

賀茂川の水、双六の賽、山法師(比叡山のこと)。これぞ朕が心にままならぬもの

と言わせるほどでした。

日本における代表的『宗教戦争』は浄土宗と法華宗の対立です。特にかつての法華宗は日本ではもっとも過激な宗教だったのです。簡単に言えば浄土宗のご本尊は阿弥陀如来、これに対し法華宗のそれは釈迦如来。それぞれ思想、教えが違うのです。

1531年、対立する一向一揆衆(浄土宗)が入洛する噂が広がると法華宗徒は、管領の細川晴元と組んでこれを防ぎ、逆に山科本願寺(浄土宗)を焼き討ちしました。京都にあった本願寺が、摂津の石山に移転するのはこの時のことです。その5年後に起きたのが、応仁の乱の惨禍を上回る『天文法華の乱』です。これは1536年比叡山(天台宗)と南近江の六角氏等が組み、京都市内の21の法華宗本山を焼き討ちした戦争のことです。

1536年2月、比叡山西塔の華王房が法華宗徒の松本久吉と宗論(宗教上の論争)して破れると比叡山は法華撃滅を決議し、これが比叡山と法華宗との大規模な戦闘に発展していったのです。
法華宗徒は、5月以降京都市内の要所に溝を掘り戦いに備えていましたが、比叡山側は六角氏や近国の大寺院を味方につけ7月22日早朝、松ヶ崎城を襲撃。続いて六角定頼以下近江の軍勢が三条口・四条口から京都市内に乱入。27日までの戦闘で、下京区全域と上京区三分の一が消失し、法華宗徒は21の寺院を焼かれ、死者は3000人とも10000人とも言われています。法華宗側の大敗北でした。

信長の比叡山焼き討ち以上の人的・物的被害です。
なぜこれほどまでに被害が広がるのか。自分が信仰する宗派・寺院の危機となれば、男も女も老いも若きも手に武器を取って戦闘員として立ち上がるのです。
これはエンドレス・ゲームです。戦闘員は他の宗派の者を殺すことに何のためらいを持たないのです。なぜなら自分たちは『正義』だからです。これが宗教というものが持つ恐ろしさなのです。

こうした軍事集団だった宗教団体に鉄槌を下したのが織田信長です。
しかし比叡山の焼き討ちや、本願寺との戦いは信長が仕掛けた戦いではありません。比叡山は、それまでの中立を破って浅井・朝倉両氏に基地提供をはじめとする軍事援助を行い、公然と信長への敵対行動に出ました。また本願寺との戦いでは、先に宣言布告したのは本願寺の方だったのです。
一向宗徒は信長の領地の方々で蜂起しましたが、負けても負けても講和条約を反故にして戦いを挑む一向宗にはさすがの信長も打つ手がなく、その結果行われたのが伊勢長島などでの『皆殺し作戦』でした。

比叡山にしろ、一向宗にしろ、彼等への虐殺行為を行った信長を非難する人は大勢います。確かに信長の戦いは戦国時代という特殊な社会環境のもとで行われた異常な行為だったかもしれませんが、あの時代。他にどのような方法があったというのでしょうか。

織田信長は宗教が持つ権威を天空から引きずりおろし、地上に叩きつけました。
完敗した比叡山や本願寺はその後軍事的存在ではなくなり、政治に介入することは不可能になり、宗教団体への『骨抜き』はこの後の秀吉の刀狩と、徳川幕府の檀家制度で完成するのです。

こうした信長の宗教対策は現在もなお日本人に多大な影響を与えています。
この項の冒頭の一文を覚えているでしょうか?

すっかり宗教に疎くなっている我々日本人は、かつて日本国内にあった宗教戦争をキレイに忘れているのです。少なくとも戦国時代以前の日本人は、宗教に関しては別の人種ではないかと思うほど『宗教的』だったのです。

日本人が宗教に疎くなったのは織田信長の戦いの結果なのです。ちなみに信長は戦いが終わった後、比叡山や本願寺への信仰を禁止してはいません。ですから信長の比叡山や本願寺との戦いは宗教戦争でも宗教弾圧でもありません。宗教弾圧とは、その後の豊臣秀吉や徳川幕府のキリスト教禁止令のように、その宗教を信仰することを禁止し、違反者には重刑をもって臨むようなことを言うのです。


さて話を戻します。
一神教の世界では怨霊はどのように考えられているのか。

怨霊とは神に存在を許されない、別名悪霊、悪魔(サタン)です。
旧約聖書には、サウルという傲慢不遜な王様に悪霊がのり移ったことが書かれています。それを知った家来のダビデが音楽を奏でることによってサウル王の心は安らぎ上機嫌になり、その結果サウル王から悪霊が去ったといいます。またサラは、悪魔に伴侶を殺され苦しめられたが、天使の導きによって救われたとも書かれています。

旧約聖書の『ヨブ記』には、サタンと神の会話が書かれています。

ある日、天にいる神の前に天使たちが集合した。天使たちは神の命により、地上に降りて人間の行いを神に報告するのだ。
その天使の一人にサタンがいた。

神: おまえはどこから来た
サタン:

地上を巡回し方々を歩きまわっていました

神: おまえは私の僕(しもべ)のヨブに気づいたか。彼ほど無垢で正しく、神を畏れる者は他にはいないだろう
サタン: ヨブが利益もないのに神を敬うでしょうか。あなたは彼とその一族、全財産を守っておられるではありませんか。彼の手の業をすべて祝福なさいます。おかげ彼の家畜はその地に溢れるほどです。ひとつこの辺で、御手を伸ばして彼の財産に触れてごらんなさい。面と向かってあなたを呪うにちがいありません。
神:

それでは、彼のものを一切、おまえのいいようにしてみるがよい。ただし彼には、手を出すな。

ちょっとわかりにくいですが、神とサタンの賭けにより、ヨブは家族も全財産も奪われてしまいます。
サタンは天使の一人だったのです。ただし罪を犯した天使としてサタンは形式上は神の使いなのですが、他の天使たちと違って神に服従しているように見えても、実際にはそうではないのです。

サタンは人間を堕落させようと常に策略をもって歩き回り、餌食となる者を捜し回っているとされました。そして人間の心の隙をついて、たとえばサウル王やサラのように、その心をコントロールするようになります。映画エクソシストは、神父がそんな悪魔に取り付かれた少女を救う物語です。

これに引きかえ日本では、早良皇子や菅原道真のように怨霊の厄難は人の心に働きかけるのではなく、疫病や天変地異などを引き起こすという具合に、スケール(?)が桁違いに大きいです(笑)
それもそのはずで、一神教の世界では病気も自然現象も唯一絶対の神が作ったものなので、神の意志の下にありますから、たとえ悪魔といえども神を倒さないかぎり、それらを自由に操ることはできないのです。新約聖書によれば、悪霊に祟られたり、悪霊がのり移るのはその人に罪があるからではなく、運の悪さだとされています。

では一神教では、そんな悪魔への対抗手段はあるのか。

あるのです。
その方法は、新約聖書の『エフェソの信徒への手紙』にあります。『悪魔の策略に対抗して立つことができるように、神の武具を身に着けなさい』 ということからはじまって、七つ道具を持てと書かれています。

立って@真理を帯として腰に締め、A正義を胸当てとして着け、B平和の福音を告げる準備を履物としなさい。
なおその上にC信仰を盾として取りなさい。それによって悪い者の放つ火の矢をことごとく消すことができるのです。
またD救いを兜としてかぶり霊の剣、すなわちE神の言葉を取りなさい。どのような時にも、F霊に助けられて祈り、願い求め、すべての聖なる者たちのために、絶えず目を覚まして根気よく祈り続けなさい。

このように一神教の世界では、怨霊(悪魔)は恐怖の対象ではあっても倒せない、あるいは追い払えない敵ではないのです。


■多神教について

死者に鞭打つ行為という言葉があります。語源は古代中国です。
家臣の讒言により故国の楚(そ)を捨てて、敵国である呉(三国志の呉ではありません)に亡命した伍子胥(ごししょ ? 〜前485)は数年後、呉の兵を指揮して楚に攻め込んで都を占領し、讒言を信じたかつての王の墓をあばき、王の遺体が引きちぎれるほど鞭を打ち続けました。

漢の初期。
謀反の罪で捕らえられて殺された淮南王の英布(えいふ。鯨布・げいふとも言う。?〜前195)の体は切り刻まれ、塩漬けにされて諸侯に配られました。その肉を食べて憎しみを共有せよ、ということです。中国では食人の風習があり、孔子はそれが好物でした。

これらの時代が古すぎると思うなら、20世紀の事例をあげましょうか。
第2次世界大戦後、中国では漢奸と呼ばれた人達が捕らえられ、ある人は刑務所行きになり、またある人は死刑になりました。漢奸(かんかん)とは漢民族(中国)に対する裏切り者、反逆者というような意味で、例えば日本への協力者などがそれにあたります。

蒋介石の国民党から漢奸とされた汪兆銘(1883〜1944)は、すでに故人であったにもかかわらず墓を爆破されています。東京裁判で死刑判決を受けた東条英機以下の死刑囚は、死刑執行後も遺骨は遺族には渡されず、人知れず何処かで処分されました。連合国にとって彼等はまさしく悪魔だったからです。

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自動車を運転すると、わき道から犬や猫が飛び出してくることがあり、それをよけようとハンドル操作を誤って事故を起こすことがあります。かく言う私も一度だけ猫をはね飛ばしたことがあります。私はその後、帰宅してから仏壇にお線香をあげて、成仏してくれと念じましたね。

私のこの行為はおかしいでしょうか?
日本人なら、ある程度納得してくれるんじゃないでしょうか?
それとは逆に死体に鞭打つ伍子胥や、英布を食べた人のことを何とも思わない日本人は少ないのではないでしょうか? むしろ大多数の日本人は、こうした行為に嫌悪感を感じるのではないでしょうか?

いくら漢奸とはいえ、汪兆銘は墓に眠っているのです。東条英機等は死んだのです。
なぜそこまでする必要があるのでしょう?
日本人にはなかなか理解しにくいものがあります。

それはなぜなんでしょう?
日本人は一言で言えば、死ねば罪は消える、と考えるからではないでしょうか?
また、いくら憎いとはいえ死者にそこまですることはあるまい、という感情ではないでしょうか?
そして、そんなことをすれば化けて出る、と思わないでしょうか?
もちろん現実のことして化けて出るなどありえませんが、無宗教を自認する現代の日本人でも、心の奥ではひょっとしたら・・・と一瞬でも思わないでしょうか?

ひょっとしたら化けて出るどころか、絶対出てくると考えたのが、今から1100年以上も昔の人達です。
私たちは科学知識として化けて出るなどありえないし、妙な言動をとるのは悪霊がのり移ったのではなく、精神的な病気であることを知っていますが当時の人は化けて出るとか、悪霊のタタリを本気で信じていたのです。信じている以上早良皇子や菅原道真の怨霊は、(当時の人にとっては)本当に現れたのです。

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日本は八百万の神々の世界です。
冒頭に雷神は日本の八百万の神々の一つに過ぎない、と書きました。『すぎない』というのは少々言いすぎかもしれませんが、『神々の一つ』という言葉に違和感を感じる日本人は少ないでしょう。もし違和感を感じるとしたら、たとえば宮崎駿のアニメ・・もののけ姫・・などはさぞ異様に映ることと思います。

古来より日本人は、身の回りのあらゆるものに神性を感じてきました。たとえば山、沼、大木、巨岩などの自然に対し、またたとえば狼、蛇、熊などの動物に対し、またあるときは菅原道真、豊臣秀吉、徳川家康のような実在の人間に対して。実在の人間が神として祭られるなど、一神教の世界では絶対ありえないことです。

ところで中国でも人間を祭ることがあります。
例えば孔子です。また三国志の英雄関羽(かんう)は死後神として祭られました。日本各地にある関帝廟がそれです。義理に厚かったため商売の神様とされています。孔子も関羽も善神として祭られているわけで、平将門のように怨霊神としてではありません。

横浜中華街にある関帝廟

日本では家の中には屋敷神や、竈神があり、座敷童子(ザシキワラシ)という神もいます。外に出れば道端には道祖神、お地蔵様があり、神社やお寺も方々にあります。それをごく普通のことと日本人は受け入れています。これが日本人の、八百万の神々の存在を前提とする宗教感覚なのです。

では、日本人の考える神とはどのようなものをいうのでしょう。
日本人の神に対する感性について、本居宣長(1731〜1801)は古事記伝の中で次のように述べています。

さて凡て迦微(かみ)とは、古御典等(いにしへのみふみども)に見えたる天地の諸(もろもろ)の神たちを始めて、其(そ)を祀(まつ)れる社に坐(いま)す御霊(みたま)をも申し、又人はさらにも云ず、鳥獣木草のたぐひ海山など、其余(そのほか)何にまれ、尋常(よのつね)ならずすぐれたる徳(こと)のありて、可畏(かしこ)き物を迦微(かみ)とは云なり

つまり日本人は、何か尋常でないものに神を感じてきたのです。この神々・・日本古来からの神々を祭る宗教が神道であることはいうまでもありません。

神道は世界的に見てもきわめてユニークなもので、教義というものがありません。それと神道の影響下にある宗教行事、あるいは宗教行為は日本人にとってあまりにも日常的なもので、普段我々はそれを宗教と感じることはほとんどないのです。

初詣(1月)、節分(2月)、春祭り(4月)、海開き・山開き(7月)、秋祭り(10月)、七五三(11月)。定例の年中行事だけでなく家を建てるときの地鎮祭、子供が生まれればお宮参り、厄年になれば厄払い、受験の時の合格祈願、交通安全、お彼岸やお盆の墓参り・・・これらはほんの一例にすぎません。(お彼岸やお盆の墓参りは神道ではありません)

教義がないということは、神道の柔軟性と寛容性と非排他性につながります。事実キリストやマホメットのような開祖がなく、教義もない神道は仏教、儒教、道教など外来の宗教の影響を受けて、その姿かたちを容器に入れた水のように変えてきました。水や空気のようなものだからこそ、普段あまり意識しないんでしょうね。

神道は外部に対してきわめて影響力の小さい宗教とも言えます。
むしろだからこそ他の宗教の影響を受けて、じわじわと変化してきたのでしょう。

神社に祀られる神々の多くは日本神話に登場する神々です。
その日本神話ですが、それを読むと日本の神々の力とは何なのだろうと思ってしまいます。あまりにも人間的なのです。
たとえばギリシャ神話では、最高神ゼウスは普段はただのスケベオヤジですが(笑)、神の意思にそむくものには雷(いかづち)を以って罰を与えます。一方、日本神話の最高神天照大神は、弟のスサノオの狼藉におろおろするばかりで、スサノオを捕らえて髪や爪を剥いで高天原から追放するだけで精一杯なのです。

日本の神々の神罰とはこの程度のものなのです。
ある意味、日本人はやはり甘いんでしょうね。


●仏教について

日本人の感覚として、人は死ねば皆ホトケになる、という考えがあります。私はこの言葉の中にすべてではないにしろ、相当大きな比率で日本人の宗教観が入っているように思えてなりません。

ではホトケとは、もちろんこれは仏様のことですが、一体何なのか?
仏教は、古代インド釈迦族の王子ゴーダマ・シッタルダ(以後釈迦といいます)がその開祖です。釈迦は王子という恵まれた環境にありながら悩み苦しみの多い人で、それを解決しようと妻子を捨てて家を出てしまうのです(出家)。

苦しみとは1.生きる苦しみ、2.死ぬ苦しみ、3.年をとる苦しみ、4.病気になる苦しみ の四つがその代表とされています。他にも 1.愛別離苦(愛する人と別れる苦しみ)、2.怨憎会苦(怨み憎む者とこの世で会わなければならぬ苦しみ)、3.求不得苦(欲しいものが手に入らない苦しみ)、4.五蘊盛苦(人間の体や心の欲望が適えられない苦しみ) と全部で八つありまして、四苦八苦とはこれが語源になっています。

釈迦は艱難辛苦に耐え、修行した結果ついに悟りを開き、苦しみや煩悩から脱出すること(解脱)に成功します。仏教においては解脱した人を如来(にょらい)と呼びます。ですから釈迦の尊称は釈迦如来なのです。如来以外では、仏陀(ぶっだ)とも、阿羅漢(あらかん)とも呼ばれます。

当然ながら如来は解脱に成功した人の数だけいるわけで、釈迦の他には大日如来、薬師如来、阿弥陀如来などがいます。ちなみに学問を修め修行に精進し、これ以上学ぶものは何もないという状態を無学といいます。我々が普通使う意味とはまったく違います。

菩薩(ぼさつ)とは悟りを開く一歩手前の状態をいいます。まだ如来ほどではないが、一般の修行者よりはるかにレベルの高い状態です。まあ自動車免許で言えば仮免許ですね。菩薩には地蔵、観音、弥勒、月光、勢至などがあります。さらに仏教は不動明王、愛染明王、弁財天、帝釈天など古代インドの土着の神が仏教に帰依したとされ、菩薩と共に信仰の対象になっています。

さて日本に仏教が入ると、神道との融合現象が起こります。神仏習合です。
これが日本的なんです。
神仏習合の結果、八幡大菩薩という菩薩が生まれ(?)ました。
八幡とは宇佐神宮の祭神の一人応神天皇のことで、生まれたとき天から八本の旗(幡)が落ちてきたことに由来します。八幡大菩薩とは、仏の弟子になった応神天皇という意味です。

このことから日本古来の神は、ホトケの下に位置するということになります。人は死ねば皆ホトケになる、という前に日本人は、『人は死ねば皆神になる』と考えたのではないでしょうか?ホトケになるとは神からの格上げではないでしょうか?
ついでに言えば、日本神話の神々はあまりにも人間的だ、と先に書きましたが、死後神になるのなら人間的であるのは当然でしょう。

さてお釈迦様は、悩み・苦しみから逃れるには悟りを開き解脱せよ、といいます。極端なことを言えばお釈迦様の教えとはただそれだけで、悟りを開き解脱するためには何をどうしろということは一切言わなかったのです。

初期の仏教は実に不親切で、聖書やコーランのように日常生活を含めて、あれこれ指導するようなことはまったくなかったのです。なぜならとユダヤ教、キリスト教、イスラム教と違い、初期の仏教(小乗仏教)は自分が解脱するためにあるわけで、他人の救済が目的ではなかったからです。ここが一神教と違うところでしょう。そもそも信仰の対象となる如来も菩薩も神ではなく、人間なのです。

ではお釈迦様のように超人的修行を行える意志と忍耐力の持ち主はいいが、一般の平凡な人は永久に救われないのか?という疑問が当然起きてきます。
大乗仏教はそうした人達への回答でした。
意志と忍耐に限界があって、自力の修行で悟って解脱できないなら、如来様のように悟って解脱した人に『あやかり、すがって』救ってもらおうというワケです。ここで初めて仏教は人の救済を目的とするようになり、現在の仏教の基本ができたのです。

さて仏教というか、古代インドでは世界は天上・人間・修羅・畜生・餓鬼・地獄の六つがあるとされました。そして人間は、死ねばこの六つの世界(六道)のいずれかで再び生まれ変わるとされました。永遠に続く輪廻転生です。一神教では肉体と魂は一体なので、輪廻転生という考えはありません。もっともキリスト教は肉体の復活は信じていますが。

本来の仏教は、解脱すれば苦しみから逃れられると説いた宗教です。
輪廻転生がある以上、どこで生まれ変わっても、たとえ最高位の天上界で生まれ変っても、悩み・苦しみは依然としてつきまとうのです。
したがって解脱して苦しみから逃れた如来は、この六道とは違う世界に住むはずです。つまり
解脱すれば永遠に続く輪廻転生のループから脱出できるのです。

違う世界とは如来の住む世界のことであり、これを浄土(じょうど)といい、如来の数だけあります。
阿閦(あしゅく)如来の妙喜、薬師如来の浄瑠璃光、釈迦如来の無勝荘厳国などですが、その中でもっとも有名なのが阿弥陀如来が住むという
極楽でしょう。

大乗仏教では解脱する方法は二つあって、一つは修行を積んで自らの力で解脱すること。これは従来の方法です。もう一つが如来(たとえば阿弥陀如来)にすがってその力で浄土へ行き、生まれ変わることです。往生(おうじょう)とは浄土へって(行って)まれ変わることをいうのですが、浄土で生まれ変わればそのまま自然に解脱できるというわけではありません。解脱するための修行が容易にできるようになるということです。

さて極楽とは浄土の代名詞にもなっていますが、それは阿弥陀如来は人間を救うため48の誓いをたてたからと言われます。この誓いを本願といい、本願寺とはもちろんここからきています。このように救済のための誓いを立てた如来は阿弥陀の他にはいません。

ですから阿弥陀如来は一神教の神の概念にもっとも近いホトケ様なのです。最初に和訳された聖書に『初まりに賢い者ござる。この賢い者、極楽と共にござる。この賢いものは極楽・・』というのは苦肉の策とはいえ、一神教の神の概念やや近いものではあったのです。

さて本願寺といえば戦国期の一向宗の総本山ですが、この宗徒は進めば極楽、退けば地獄という厄介な(笑)合言葉で、織田信長をはじめとする武将達と戦ったわけです。ちなみに私は織田信長の最大の敵は武田でも毛利でもなく、石山本願寺だったと思っています。

余談ですが、徳川家康の旗印は厭離穢土欣求浄土(おんりえど ごんぐ じょうど)といいました。
穢土とは穢れた世界。これは現世のことです。
その穢れた現世を離れ、よろこんで浄土に行きたいという意味です。

穢土とは字を変えて江戸になりました。
自分が住む日本の首都を穢土と呼ぶ家康の精神はどんなものだったでしょう?

再度言いますが江戸時代の首都は穢土であり、これは現世です。
現世があるなら来世(浄土)もあるはずです。

それこそ家康が祀られる日光です。

来世(未来)と現世(現在)があるなら過去もあるでしょう。
それが京都です。現在(
江戸)と過去(京都)を結ぶのが東海道五十三次です。この五十三とは、善財童子に由来すると言われています。善財童子とは華厳経に出てくる童子で、文殊菩薩の指示で53人の賢者を訪ねて修行を積み、最後に普賢菩薩の所で悟りを開いたと言われています。

さて平安時代以降現在に至るまで、仏教は阿弥陀如来の住む極楽で往生することが最大のテーマ(?)になっています。その宗派が浄土宗であり、そのための念仏が日本人なら誰でも知っている南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)です。

南無阿弥陀仏とは阿弥陀仏(阿弥陀如来)を信じるという意味で、阿弥陀様という『他人の力』で往生を願うことを他力本願といいます。そして他力本願の究極(というべきなのかわかりませんが)の思想が、親鸞の有名な悪人正機説です。(悪人正機説の原形ともいえる理論は、すでに親鸞の師、法然によって説かれています)

善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや(善人でさえ往生できるんだ。悪人が往生できないはずがない)

なんという矛盾でしょう(笑)
悪人でさえ往生できるんだ。善人が往生できないはずがない、の間違いじゃないか?

間違いではありません。
簡単に言えば、善人は善行を積むが、その心の内には『これほど善行を積んでいるんだから、オレは必ず極楽で往生できるだろう』という下心がどうしても消えないのです。この下心がよろしくない、と言うのです。

しかし、そんな下心のある善人だって往生できるんです。
ところが悪人は善行など積まないから、ただひたすらに阿弥陀仏にすがるしかない。
この『ただひたすらにすがる』のが往生の秘訣なのだ・・というワケです。わかりましたか?
私にはどうも難しくてねえ・・・(笑)


さて浄土の解説はおまけです。私が言いたいのは輪廻転生のところです。
何かヘンじゃありませんか?

私は怨霊というものを、この世に怨みを残して死んでいった人の怨念がこの世にとどまり、自分を死に至らしめた、あるいは陥れた相手に何らかの手段で復讐し、生前の欲求を満たすような超自然的概念と定義しています。しかし人間は死ねば六道のいずれかに生まれ変るのです。何がこの世にとどまるのでしょう?

魂はこの世にとどまるんじゃないか? と思われる人もいるでしょうが、これは違います。
なぜならお釈迦様の教えは、あらゆるものに永遠のものはなく、すべてが無である。そういう自分自身もやはり無であり、主体となるものは存在しない(
無我)としているからです。つまり仏教では魂すらも存在しないのです(諸法無我)。

輪廻転生は、お釈迦様が言い出した理論ではありません。インドの伝統的宗教であるバラモン教では魂の存在を認めていて、それが肉体とは別に転生を繰り返すとしているのです。そして生前の行い次第で、次に生まれ変わるモノが変わるとされています(因果応報)。
お釈迦様は、このバラモン教における輪廻転生は認めましたが、魂の存在は認めませんでした。悩んだのはお釈迦様の弟子達です。一体いかなるものを核として輪廻転生は起きるのか?

大乗仏教の出した答えは阿頼耶識というものでした。
阿頼耶識(あらやしき)とは非常に難しい概念ですが、人類誕生の過去から、現在・未来へと引き継がれる遺伝子(他に適当な言葉が思いつかないのでこう呼びます)のようなものです。この遺伝子は人間は誰でも持っていて、その人の経験が取り込まれます。持ち主の人が死ぬと、次の転生先の人に引き継がれるのです。これは魂のような精神性は持たないが、無限の記憶容量を持つ外部メモリーのようなものです・・・というのが浅学な私の認識ですが、専門家が見れば大笑いされるかもしれません。

# & ♭

●ちょっと寄り道

ふと思い立って本箱の奥から小泉八雲の耳なし芳一を引っ張り出して読み直しました。物語を簡単に言えば、平家の亡霊に取りつかれた琵琶法師の芳一を助けようと、芳一が寄宿してる寺の和尚様が芳一の全身に般若心経を書き込む。しかし耳だけは書き忘れたため、芳一を連れに来た亡霊は証拠物件として、耳を引きちぎって去っていったという話です。

般若心経を書かれた芳一の体は平家の亡霊には見えなくなりました。
なぜなのか。

このことについて私は、はじめはこのように書きました。

我々がなぜモノを見ることができるかというと、モノに反射して網膜に入った光が視神経を刺激するからです。光がまったく屈折・反射せずに完全にモノに透過すれば(透過率100%)、我々はそのモノを見ることはできません。
般若心経には人体の透過率を100%にする作用があるのか?・・・・などとついバカなことを思ってしまいますが、般若心経とは大乗仏教における『空』の解説書のようなもので、そこには悪霊退散のオマジナイのようなものは一切書かれていないのです。

小泉八雲には般若心経の知識がなかったんじゃないか? などと、これまたバカなことを言うつもりも全然ありません。それどころか、この物語のこの部分・・・芳一の体に般若心経を書き込むと、亡霊には芳一が見えなくなる・・・には相当の矛盾があると思うのですが、さほど抵抗もなくすんなり読めるのは、私たちの心の中に、お経は怨霊対策の有効手段、という思いがあるからではないでしょうか?

今年(2006年)の7月。
ネット仲間のB住職と会った時、私は『般若心経を書くことで、なぜ平家の亡霊は芳一が見えなくなったのか。これはあまりにも小説的で、仏様の教えからは程遠いのではないか』と質問をしました。するとB住職は一言、『そんなことはない。これは仏様の教えなんだ』と言いました。

以下の部分は2006年9月の中旬に書いていますが、2箇月たってなんとなくB住職の真意がわかったような気がしますので、私なりに解釈してみました。全然違うと言われるかもしれませんが(笑)

太平記では、楠木正成・正季兄弟が湊川の戦いで敗れ、互いに刺し違えて死ぬ直前にこのような話したとしています(もちろんこれは小説です)。

正成:人は最後の一念で様々な世界に転生するという。そなたは何を望むか

正季:七回までも人間に生まれ変わり、朝敵を滅ぼしたいと願うだけだ

正成:罪業深きことだが、俺も同じだ

正成が言った『罪業深い』とは、あくまで楠木兄弟が朝敵(足利尊氏)を滅ぼすことに執着し、死んでいくことを指していますが、仏教では物事に執着することを罪悪としているのです。なぜならお釈迦様は、あらゆるものに永遠のものはなく、すべてが無である。それにもかかわらず物事にこだわり、執着するから苦しむのだ、と言いました。ですから執着とは間違いであり、罪なのです。

ここで般若心経ですが、再び書きますが、これは『』の解説書なのです。
その有名な文言に色即是空、空即是色という言葉があります。色とは物質・精神・肉体を含むあらゆる物質や現象ですが、存在すると思ったものが存在せず、まぼろしと思ったものが存在するように思えるものだ、ということです。空(くう)とは真空状態のことですが、それすらも無いということです。このあたり、さすがに0(ゼロ)を発見したインド人です。(この部分、空=無とみなしていますが、ちょっと自信がありません。)

平家の亡霊は化けて出てくるくらいですから、すさまじいばかりの怨念や、この世への執着心を抱いて死んだはずです。言い換えれば芳一の前に現れた亡霊は、仏教で言う罪悪のカタマリと言っても差し支えありません。

芳一の体に書かれた般若心経は平家の亡霊に対して、芳一は『空』であることを伝えているのではないでしょうか?
平家の亡霊よ、お前が連れて行こうとした芳一は空、つまり無なのだ。芳一の体はここにあると思っているだろうが、実体は無いのだよ、と語りかけているのではないでしょうか?亡霊の『罪悪』が大きければ大きいほど、般若心経の効果は強力に発揮できるのでしょう。

●寄り道終わり

# & ♭

輪廻転生は阿頼耶識が核となって起こります。これは現世にとどまりません。
もし例外があって、次に転生するまでの間、この世に留まって怨霊と化すのなら話は簡単なのですが、阿頼耶識は記憶媒体かもしれませんが、それ以上でもそれ以下でもなく、ただそれだけのものなのです。輪廻転生がある限り、本来の仏教には霊魂(怨霊)という概念はないのです。

インドで生まれた仏教は解脱を目的としたものでした。それが中国・朝鮮を経て日本に伝わった時、最初は鎮護国家の目的で使われたことは承知のとおりです。日本人は仏教を取り入れつつも、それをそのまま素直に自分たちのものせず、拡大解釈し、芥川龍之介の言葉を借りれば自分流に『造りかへて』しまったのです。(神々の微笑 / 芥川龍之介)


非常に大雑把ですが、思いつくままにそれぞれの違いについて書いてみました。

  一神教 仏教 神道
信仰対象 唯一の神 如来、菩薩など多数。ただし神ではなく
人間が主体になる。
日本神話の神、土地の神、
動物、実在した人間など多数
(八百万の神々)
信仰の目的 神の教えに従って生活すること 解脱する、浄土で往生すること 神を畏れ敬うこと
戒律 ユダヤ、イスラムは厳しい 日本以外では厳しい ほとんどない
聖典 聖書、コーラン お経 ない
教義の拡大解釈 キリストを神とする宗派と
しない宗派がある
柔軟。拡大解釈は方便と言われる 非常に柔軟
死後の世界 ある ある(あの世) ある(黄泉国)
天国と地獄 Heaven、Hell 浄土、地獄 ない

日本は、如来などの仏様も含めて多神教の国ですから唯一絶対の神というものは存在しません。
絶対の神がいないということは、絶対的な正義も絶対的な悪もないということです。つまりこれは、日本人には絶対的正義に裏付けられた行動、信念を持った行動をとることができないということであり、行動の内容にもよりますが常にある種の『迷い』を伴う、ということでもあります。

桓武天皇は早良皇子を失脚させ死に至らしめました。醍醐天皇や藤原時平は菅原道真を左遷させ、道真は失意のうちに亡くなりました。その後桓武や醍醐、藤原時平が怨霊に苦しんだのは、彼ら自身の迷いが落雷や疫病などの自然現象と結びついたから他なりません。迷いとは罪悪感と置き換えられます。

この罪悪感、後ろめたさこそ怨霊を生む最大の理由でしょう。
仮に持統や桓武、醍醐、藤原時平が一神教の信者なら、自分には唯一絶対の神の加護があり自分は正義だと信じますから、政敵を葬っても罪悪感はまったく感じないのです。

多神教と一神教のどちらが良いとか悪いとか、優れている劣っている、ということはできないでしょうが、価値観を共有できる多神教の方が、違う価値観を認めない一神教よりは、より平和的だとは思います。後ろめたさの伴う多神教の信者には、死者に鞭打つこともできないし、生きている人に対して目をそむけるような残虐行為もできないのです。

それを中途半端、不徹底といえば言えるのですが、だからこそ日本人は、下手に恨みを持って死なれたら怨霊になる(化けて出る)、と考えるし、人は死ねば皆ホトケになるとは、自分はあいつにひどいことをしたが、人は死ねば皆ホトケになるんだ、と自分に言い聞かせ、あいつは怨霊にはならない(だろう)、と信じるためなのではないでしょうか?


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