ドルフィーに捧げる涙
1964年6月29日、エリック・ドルフィーは星になりました。
1949年の初吹きこみから15年後、初のリーダー・アルバムであるOUTWARD BOUND を録音してからわずか4年後のことです。
この間彼はサイドメンとして、またリーダーとして70枚近い数のアルバムを残しています。
私が持っているドルフィーのアルバムはリーダー、サイドメン合わせても20枚にもなりませんが、初めて聴いた時は違和感を覚えたものの、しだいに決して「奇」でもなければ、「珍」でもなく、まして「愚」でもないと思うようになりました。それどころか、贔屓かもしれませんが、彼ほど純粋なミュージシャンは、それこそ珍しいとさえ考えるようになっています。
私はホームページを立ち上げてから、「いつの日かドルフィーのことを取り上げよう」と思っていました。
これはささやかですが、私がドルフィーに捧げるオマージュなのです。
■ ディスコグラフィー
タイトル |
リーダー |
録音年月 |
レーベル |
BLACK CALIFORNIA |
ROY PORTER | 1949.01 | Savoy |
CHICO HAMILTON QUINTET | CHICO HAMILTON | 1958.04 | Pacific |
CHICO HAMILTON WITHSTRINGS | CHICO HAMILTON | 1958.10 | Warner Brothers |
TRAVELIN'LIGHT | ERNIE ANDREWS | 1958.10 | GNP |
GONGS EAST | CHICO HAMILTON | 1958.12 | Warner Brothers |
THREE FACE OF CHICO HAMILTON | CHICO HAMILTON | 1959.02 | Warner Brothers |
CHICO HAMILTON | CHICO HAMILTON | 1959.05 | Sesac |
OUTWARD BOUND | ERIC DOLPHY | 1960.04 | New Jazz |
PREBIRD | CHARLES MINGUS | 1960.05 | Mercury |
SCREAMIN’THE BLUES | OLIVER NELSON | 1960.05 | New Jazz |
LOOKING AHEAD | ERIC DOLPHY | 1960.06 | New Jazz |
MINGUS AT ANTIBES | CHARLES MINGUS | 1960.07 | Warner Pioneer |
OUT THERE | ERIC DOLPHY | 1960.08 | New Jazz |
CARIBE | THE LATIN JAZZ QUINTET | 1960.08 | New Jazz |
WONDERFULL WORLD OF JAZZ | GUNTHER SCHULLER | 1960.09 | Atlantic |
ESSENCE | JOHN LEWIS | 1962.10 | Atlantic |
TRANE WHISTLE | EDIIE Lockjaw DAVIS | 1960.09 | Prestige |
MINGUS PRESENTS | CHARLES MINGUS | 1960.10 | Candid |
MINGUS | CHARLES MINGUS | 1960.11 | Candid |
THE JAZZ LIFE | −−−−−−− | 1960.11 | Candid |
NEWPORT REBELS | JAZZ ARTISTS GUILD | 1960.11 | Candid |
JAZZ ABSTRACTION | GUNTHER SCHULLER | 1960.12 | Atlantic |
FAR CRY | ERIC DOLPHY | 1960.12 | New Jazz |
FREE JAZZ | ORNETTE COLEMAN | 1960.12 | Atlantic |
THE LATIN JAZZ QUINTET | THE LATIN JAZZ QUINTET | 1960.06 | United Artists |
STRAIGHT AHEAD | ABBEY LINCOLN | 1961.02 | Candid |
BLUES AND THE ABSTRACT TRUTH | OLIVER NELSON | 1961.02 | Impulse |
STRAIGHT AHEAD | OLIVER NELSON | 1961.03 | New Jazz |
OUT FRONT | BOOKER LITTLE | 1961.03 | Candid |
PLENTY OF HORN | TED CURSON | 1961.04 | Old Town |
EZZ−THETIC | GEORGE RUSSEL | 1961.05 | Riverside |
AFRICA BRASS | JOHN COLTRANE | 1961.05 | Impulse |
OLE | JOHN COLTRANE | 1961.05 | Warner Pioneer |
WHERE | RON CARTER | 1961.06 | New Jazz |
THE QUEST | MAL WALDRON | 1961.06 | New Jazz |
AT THE FIVE SPOT Vol.1 | ERIC DOLPHY | 1961.07 | New Jazz |
AT THE FIVE SPOT Vol.2 | ERIC DOLPHY | 1961.07 | New Jazz |
MEMORIAL ALBUM | ERIC DOLPHY | 1961.07 | Prestige |
DASH ONE | ERIC DOLPHY | 1960.04 | Prestige |
PERCUSSION BITTER SWEET | MAX ROACH | 1961.08 | Impulse |
BERLIN CONCERT | ERIC DOLPHY | 1961.08 | Enja |
IN EUROPE Vol.1 | ERIC DOLPHY | 1961.09 | Prestige |
IN EUROPE Vol.2 | ERIC DOLPHY | 1961.09 | Prestige |
IN EUROPE Vol.3 | ERIC DOLPHY | 1961.09 | Prestige |
STOCKHOLM SESSION | ERIC DOLPHY | 1961.09 | Enja |
LIVE AT THE VILLAGE VANGUARD | JOHN COLTRANE | 1961.11 | Impulse |
THE OTHER VILLAGE VANGUARD TAPES | JOHN COLTRANE | 1961.11 | Impulse |
TRANE’S MODES | JOHN COLTRANE | 1961.11 | Impulse |
COLTRANOLOGY | JOHN COLTRANE | 1961.11 | BYG |
U.S.A | ERIC DOLPHY | 1962.?? | Unique Jazz |
ERIC DOLPHY QUINTET 1961 | ERIC DOLPHY | 1961.?? | Jazz Connoisseur |
3 DOLPHY GROUPS | ERIC DOLPHY | 1961.?? | Unique Jazz |
THE INNER MAN | JOHN COLTRANE | 1962.02 |
Ozone |
PONY’S EXPRESS | PONY POINDEXER | 1962.02 | ? |
TOWN HALL CONCERT | CHARLES MINGUS | 1962.10 | United Artists |
ORCHESTRA U.S.A. | ORCHESTRA U.S.A. | 1963.01 | Debut |
RUSSIAN GOES JAZZ | TEDDY CHARLES | 1963.04 | United Artists |
THE ERIC DOLPHY MEMORIAL ALBUM | ERIC DOLPHY | 1963.05 | Vee Jay |
IRON MAN | ERIC DOLPHY | 1963.05 | Douglas |
MINGUS MINGUS MINGUS | CHARLES MINGUS | 1963.09 | Impulse |
THE INDIVIDUALISM | GIL EVANS | 1963.09 | Verve |
MACK THE KNIFE | SEXTET OF THE ORCH.U.S.A. | 1964.01 | Victor |
OUT TO LUNCH | ERIC DOLPHY | 1964.02 | Blue Note |
POINT OF DEPARTURE | ANDREW HILL | 1964.03 | Blue Note |
TOWN HALL CONCERT | CHARLES MINGUS | 1964.04 | Mingus |
THE GREAT CONCERT OF CHARLES MINGUS | CHARLES MINGUS | 1964.04 | America |
MINGUS IN EUROPE Vol.1 | CHARLES MINGUS | 1964.04 | Enja |
MINGUS IN EUROPE Vol.2 | CHARLES MINGUS | 1964.04 | Enja |
EPISTROPHY | ERIC DOLPHY | 1964.06 | ? |
LAST DATE | ERIC DOLPHY | 1964.06 | Fontana |
■My Best
IN EUROPE vol.1、vol.2 ドルフィーの演奏の中では比較的聴きやすいのではないでしょうか。 |
|
OUT TO LUNCH フレディー・ハバード、ボビー・ハッチャーソンと組んだ異色作。 |
|
AT THE FIVE SPOT
vol.1、vol.2 ドルフィーにとって最良のパートナーはブッカー・リトルだったでしょう。FIVE SPOTで繰り広げられた奇跡のライブ。 私が好きなのは、vol.2 のAgression。 |
|
LAST DATE ドルフィーの死の直前に吹き込まれたライブ演奏。 ドルフィーはこの4週間後、尿毒症の悪化で帰らぬ人になったのです。 |
TEARS FOR DOLPHY このコンテンツのタイトルはこのアルバムからつけました。 ドルフィーは、テッド・カーソンとグループを組んだことはありませんが、ミンガスのグループで共演しています。 |
|
MINGUS PRESENTS
MINGUS これは「フォーバス知事の寓話」でおなじみですが、あまりこだわる必要もないでしょう。それ以上に IF WIFE WAS YOUR MOTHER? の圧倒的な演奏が印象的です。さらにテッド・カーソンの実力を再認識させる傑作。 |
■ ドルフィーの音楽
ドルフィーの演奏につきましては私が下手な文章を書くより、あるサイトでの掲示板での会話を掲載した方がよさそうです。
これは2000年10月、私の書き込みをキッカケとしていろいろな人から出された意見を時系列に集約したものです。(多少編集しています)
私 | 私はドルフィーのファンでして、いつか特集を組もうと思っています。 彼の音楽をどう思われますか? |
Aさん | 「まともな状況での異質感」という時の彼がとても好きです。 端正なアンサンブルの後に飛び出すドルフィーは、どのアルバムでも身もだえしそうにカッコいいですね。あと、音色はあの時代ピカイチだと思ってます。生で聴きたかった...。 |
◆ 当然ながら、ドルフィーが嫌い、と言う人もいます ◆
|
|
Bさん | 私は嫌いなんです。あの浮遊感が、ダメなんですね。 |
Aさん | Bさんのような嗜好の方は「アウト」なフレーズも苦手なんでしょうか。 アウトなフレーズとは、例えばキーがCのときにわざとDbのフレーズを吹いて、またCに戻るというものです。 このCに戻るというのが重要で、これが無いとただの間違いになります。 ドルフィーのフレーズは、通常のハーモニーに浮かび上がるようにメロディを切り込んでいくイメージです。 |
Cさん | なぜアウトしていく感覚になるか・・・中略・・・テンションノートばかりになるあたり、わかりやすく解説していただくと他の人にも楽しんでいただけるのでは?と思います。 |
Dさん | ”浮遊感”とBさんが書かれていましたが、そうだと思います。独特のアドリブは人によっては、"あれ?"と感じるかもしれません。 特にバスクラを聴くとその感を強くします。 |
Aさん | いきなり否定するようで申し訳ないんですけど(汗)、私はドルフィーをテンションは高いとは思いますが、アウトしていると思わないんですよ。結果としてアウト風だ、とは思います。 アウトする、というのは代理コードなどの積み重ねで当初のコードからかけ離れた音を演奏するようなアプローチだと思います。 そして何らかの理由で元のコードに戻る、その危うさを楽しむわけですね。ある程度コードから離れるわけです。 ドルフィーが活躍したころは、アドリブといえばコードに沿ったアプローチでした。 コードに沿ったアドリブには、大きく3つのアプローチがあると思います。
まず3)はオーネットですね。1958年頃だと思います。それ以前は1)や2)でした。 2)は例えば裏コードであるとかIVの代理コードのIVmを使うとか、「音楽的に正しい別のコードに置き換え、それを元にアドリブする」というものです。 「元のコードを別のコードに差し替える」ということですね。絵で言えば「使う色を似た色に変える」といった感じでしょうか。 1)の「テンションノートを使う」は、V7ならV7の何番目の音を使うかで勝負するというもの。-13とか、+9とか。「元のコードに別の音を加える」ということです。 絵で言えば 「地色に違う色を重ねる」といった感じでしょうか。 ドルフィーの楽理的なアプローチは 2)の「裏コードや代理コードの使用によるコードの変換させる」タイプではなく、1)の「コード内のテンションで勝負する」タイプだと思います。 ではいかにドルフィーはあの浮遊感を出したのか。 また彼は音の跳躍が激しいのはご存じの通りですね。 しかしそういう極端さを取り除くとアプローチはオーソドックスだと思います。 |
みなさん、ありがとうございました。
私はドルフィーのフルートには精神の気高さを、バスクラには新鮮な驚きをを感じます。そして私はリズムもそうなんですが、バスクラでうねるような低音から一気に高域に飛躍するところが、或いは高域から低域に落下するところが、一つ間違えればすべてが台無しになってしまうような、崖淵ギリギリのところを歩く、一歩足を踏み外せばそのまま真逆さまに転落するような、異様とも言える緊迫感にぞくぞくするんです。
尺八の鬼才とドルフィー (間宮 芳生)
You Don't Know What Love Is はドルフィーの名演としてあまりにも有名ですが、普段ジャズなどは聴かない別の分野の人も驚愕させたようです。
・・・・・以下の文章はSJ誌(1970年4月臨時増刊号)よりの転記です。
尺八の鬼才、酒井竹保氏の名はコルトレーンほどに、また小沢征爾や日野晧正ほどにも知られているわけではない。
だが、上野文化会館小ホールでの、リサイタルで古典尺八本曲「真霧海虎」の演奏を聴いて仰天してしまった、あの時の感銘を僕は生涯忘れないだろう。
30分を越えなんとするこの至難の曲の演奏に見せた酒井氏の気迫、むしろ非常に現代的とも云える(それは多く酒井氏に負うものだということは後でわかった)尺八古典の世界に圧倒された。
その日以来幾度か酒井氏と会い、我家にも来てもらって、話をきいたり、古典本曲をふいてもらったりという関係になっているが、ある時彼が「演奏中に、ここで長い長い音がどうしても必要になって、(古典と言えども二度同じ演奏はできないのだという) しかし息が続くかどうか不安な時どうするかと云えば、続かせるのです。続かせるのは何かと云えば、”続けるのだ、続かせねばならぬ”という意志力だけなのです」と云われたのには、二度仰天であった。
その酒井氏が、わが家できいたエリック・ドルフィーには完全に脱帽してしまった。
となると話が少しでき過ぎのようだが、彼にきかせたのはエリックのラストレコーディングになった「Last Date」の中で、フルートを吹いている”You Don't Know What Love Is”という曲。酒井氏に云わせれば、数百年の伝統の中で、きたえにきたえぬかれて来た尺八本曲の表現をして顔色なからしめるばかりの、エリックの音の表現が百年に満たないジャズの歴史の中でどうして可能なのか、まるで奇術のようだ、よけいな音が一つもない、自分たちが最高の理想としている魂の表現そのものだというのである。
酒井氏ほどの鬼才にして、はじめて鬼才エリックを知ることばというべきか。ところで音楽家には、1歩1歩足元をふみかためて、遂に頂をきわめるような型と、ある日突然何かが起こって(というのは実は三者的な無責任な見方に過ぎないことが多かろうが)音楽が、まるごとその人間の存在である如く乗り移ってしまうような型とがあるよう気がする。エリックはどうやら後者。
もう一人挙げれば、チェロの鬼才、ヤーノシュ・シュタルケルか。彼の無伴奏チェロ組曲全曲のレコードもぼくの云いい落とせない愛聴盤である。
ジャズについては、ぼくのエリック・ドルフィー一辺倒は、まだ当分おわりが来そうにない。―さびしいといえばさびしい気もするが。
■ バイオグラフィー
エリック・ドルフィーは1928年6月20日、ロサンジェルスで生まれました。子供のころは教会の聖楽隊に加わったり、クラリネットを吹き始めたようです。10代半ばでハンプトン・ホーズとバンドを組み、やがてチャーリー・パーカーの音楽を聴いて決定的な影響を受けたと言います。
26才の時、オーネット・コールマンと知り合い意気投合をしましたが、コールマンがニューヨークで一大センセーションを巻き起こすと、その後を追うようにニューヨークにやって来ました。
それ以前は、1957年、チコ・ハミルトンのグループに参加するまではほとんど無名の存在でした。
1959年、ニューヨークに来たドルフィーはチャーリー・ミンガスのワークショップに入り、翌1960年4月、初リーダーアルバムであるOUTWARD BOUNDを録音。
この時すでに32才に近かった彼の音楽スタイルはすでにほぼ完成していましたが、それは無名時代に作られたものだったでしょう。
では一体彼のスタイルはどのようにして作られていったのか。
チャールス・ミンガスの影響も大きかったには違いありませんが、彼以前のジャズの天才達 ―― ルイ・アームストロング、レスター・ヤング、チャーリー・パーカー達 ―― がそうであったように、彼自身の内面から湧き上がるイマジネーションの具現化であったことでしょう。
1964年6月27日、ベルリンのクラブで演奏中倒れたドルフィーは29日、不帰の人となりました。
ドルフィーの生前、ジャズ界は決して彼に温かいものではなく、貧困はまだ我慢をしても、無理解・無責任な中傷がいかに彼を傷つけたか、想像するにあまりあるものがあります。
上記のディスコグラフィーに書かれたアルバム70枚の中で、ドリフィーがリーダーになったものはわずか21枚に過ぎないことにもそれがあらわれていると思います。
ドルフィーはニューヨークに来てから死ぬまでの5年間に何回かヨーロッパへ出かけましたが、その背景にはこうした事情があったのでしょう。
OUTWARD BOUNDはかつて「惑星」という邦題で発売されたことがあります
36年の短すぎる生涯は、惑星と言うよりは彗星のようなものでした
一瞬現われて世間の耳目を集め、また去って行ったのです
エリック・ドルフィー
空前絶後といえばおおげさでしょう
しかし彼はジャズ史上 One And Only のユニークな存在でした
私は彼の研究家でもなければ、彼のすべてのアルバムを収集しようとするコレクターでもありません
この程度で特定のミュージシャンのコーナーを作るなど僭越なことです
でも............私はエリック・ドルフィーが好きなのです
When you hear music,
after it's over,
it's gone in the air.
You can never capture it again
.
.
.
.