国道17号線(高崎市街)
再び国道に戻ろう。
左斜め前に観音山が見えてくる。高崎名物の白衣観音だ。
■ 高崎城
それが丁度左側に見えるころ、高松町交差点になる。
左側にある橋は和田橋という。
高崎が高崎となったのは江戸時代のことで、それ以前は和田宿と言っていた。
それがこの橋の名前の由来である。橋の下には烏川が流れている。
いつごろなくなったのだろうか。私が子供のころは、ここに貸しボート屋さんがあった。
その交差点を右に曲がろう。そこはもう高崎城の城内である。
真っ直ぐ行くと右側に台形の建物が見えてくる。
コンサートホール、群馬音楽センターだ。
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● 群馬音楽センター 古い建物である。1961年竣工だから40年になる。収容人数は1932人。 |
これは音楽センターの敷地内、正面玄関前である。
正面に見えるのはコントラバスではない。
電話BOXだ。洒落たつくりになっている。この道をまっすぐ行くと下の写真のところ(大手門)に出る。
音楽と言えば高崎市には群馬交響楽団というオーケストラがある。
1945年11月高崎市民オーケストラとして発足した同楽団は、1947年、プロとして再スタート。
山本直忠、小澤征爾、遠山信二等が指揮をとってきた。
1955年、群馬交響楽団をモデルにした映画、「ここに泉あり(小林桂樹、岸恵子主演)」によって全国的に知られるようになった。
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1945年創立まもないころの群馬交響楽団 |
現在の群馬交響楽団 |
上の電話ボックスの向こうには高崎城のお堀がある。
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● 高崎城跡 高崎城三の丸、大手門である。 |
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上の写真は大手門に向かって左側。これは右側だ。中央の瓦屋根の建物は郵便局である。 外観を少しでもお城に合わせようとしたらしい。 |
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高崎藩はわずか5万石の小藩だった。 それでもお城には天守閣があった。 群馬県下で天守閣があった城は、高崎、前橋、沼田の三城だけだった。 お堀端は春、桜が満開になる。素晴らしい光景である。 |
お堀を後にして歩いていくと若者で賑わう銀座通りの入口になる。
ちょうどこの日はストリート・ライブをやっていた。
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さやもーる(銀座通り) 群馬交響楽団や音楽センターがあるように、高崎は音楽活動が盛んである。 オーディションがあって、上手なグループは人通りの多い場所でライブができるのだ。 |
お堀端を南に歩いて行くと高崎駅西口に行く道にあたる。高崎市役所はその斜め右側だ。
地方都市には少々不釣合いではないか?
市役所から高崎駅までは歩いてもすぐに行ける。
駅の手前右側に木造作りの古い旅館がある。豊田屋旅館だ。
老朽化のため取り壊しの話が出たが、市民の要望でそのまま維持継続するようになった。
さて、高崎駅に到着である。
JR高崎駅はかつては赤レンガ造りの渋い駅だった。
今ではターミナル・ホテルをも含む大きな駅に変貌している。
大信寺は高崎駅の近く、通町にある。
三代将軍徳川家光の弟、駿河大納言忠長の墓所でもある。徳川忠長と言えば、テレビドラマにもなった松平長七郎の父としても知られている。
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●大信寺 徳川忠長は元和3年(1617年)、わずか11歳で小諸(長野県)の城主となり、1627年20才で権大納言となった。 しかし常軌を逸した振る舞いが兄の将軍家光の知るところとなり、高崎藩に幽閉されることになる。死因は自害とも毒殺とも言われている。時に忠長、28才であった。 |